テオヤンセンに通じるね。見えてるね。
2011年4月28日木曜日
2011年4月16日土曜日
今までの何かが崩れ落ちていく
日本へ観光客が来なくなっているらしい。
いつまでなのか、そして、どんな人が来てたのか。
宣伝と格安感で来る人たちってどんな人だったのか。
僕らも彼らに対して同じ。
僕らはどんな人々に見えていたのか。
開国してドイツとイギリスに師事を仰いでいた日本は、
どんな国になると思われていたのか。
この二つの国にとってと、それ以外の国にとって。
責任を他国の法律を利用して押し付ける。
賢い人達のやり方が崩れちゃって、
見せつけられる現実は、
その傘下でヌボ〜〜〜〜〜と餌を食べていた生き物達にも降り掛かって来た。
狂牛病にインフルエンザで処分された生き物に対しての処遇は
生きてる我々が、生きてる人達にも執り行われている行為。
「因果応報」目を閉じたまぶたの裏に、この言葉が瞬きするたびに浮かんでくる。
2011年4月6日水曜日
2011年3月4日金曜日
脳の中での話を見れるか?
「脳の一部で○○についての反応を○○研究所が確認した」等のニュースを読むたびに、
「いまだにそんな事をやってるんだ」と思う事が有る。
この「いまだに」と云う「感覚」は一体何故に僕の中に生まれていたんだろう。
過去の整理された記憶の「以前」の記憶は、
多分僕の「感情」の「軸」とも「へた」ともとれる様な部分を創っていると思う
そんな事を考えてると
ふと思うのが身体の仕組みの事。
言語中枢と視覚領域と五感の感覚が合わさった時に
「一つの感覚を創る。」
しかし言語が無くとも「視覚」や「五感」等の複数の刺激が合わされば
それはそれなりの「一つの感覚を創る。」事になる。
だとしたら
「やり方は違って、同じ「一つの感覚を創る。」は創れるのか?」と思う。
脳の特定の部位の反応が何なのかと同時に
なぜそこに創られたのかも考えると、
僕の中の「未だに」と云う感覚が無くなる様な気がする。
僕らは足元なんか見なくても階段を上がれる。
歩く時に足元を見なくても歩ける。
目の情報と時間の感覚と物体認識。
それ以上に個人の中に様々な反応や操作で動いてる。
あげた足が上がりすぎない様にしたり、右左を交互に出したり、体重を移動させたりね。
「目はモノを見る為に有るんです」はもうちゃんとした意味を伝えない誤訳とも言える時代になって来ている。
もう一度、我々はここまでの「英知」を使って、
「他」との関係をリセットさせる考え方を探す時期に来ているんじゃない。
次のステージな気がする。
2011年2月28日月曜日
ゆったりとした気持ちに響きだす言葉
から松の木の精霊が話しだした。
「何故かって?
それは、我々の命は滅びない事を我々は知っているからだ。
だから、我々は紳士に生きている。」
僕は意識を目の前に立っている「から松の木」になってみた。
昨日までの寒さが抜けた晴天は、そよぐ風にも乗って居た。
暖かみの有る風がそよぐ度に、
伸ばして居た腕や指先の様な感覚の新芽に刺激が走り
様々な未来への変化を導いてくれる。
その足元の根は、土から上と下との境界線に感覚のゲートを持っている。
感覚の大転換
土の世界へ進めている進化は、
この空からの力を余す所無く使い進められているプロジェクト。
我々はこの感覚の世界の住人には、その張り巡らせた神経網の上に感じる「振動」そして「重み」でしかない。
その「振動」と「重み」は様々な集合と雑音とでハーモニーを作り出している。
僕に話をしたのはどの木だったのか
当然分かって居たのに
ふとした瞬間
どの木も同じ様に話している気がした。
・・・石に名前を書いて、その木の根の先端付近に置いていこうかな・・・・・
永遠に進化する事、それは全てを持っている事に等しい。
その記憶に、あなたはどう写りたいですか。
2011年2月6日日曜日
芯と呼ばれるもの
Bar The ICEの裏の空間に次のステージを実験している。
そう思っていたけど、もう公開されてる空間になっていた。
子どもたちへ「チョコレートルーム」と紹介されて得る空間は
除雪で集まった「汚れた雪」と呼ばれてる雪を
水で溶かして作った空間。
「悪いものなど存在していない。」
「生かすここが出来ない。」から「悪い」と言う思考方法が
今の社会のリズムを刻むメトロノームの様に思う。
現実を「どこから見るのか」
また
「どうして」そこから「見て」いるのか。
温故知新
もっとモノを使わないで、知恵で遊ぶ様になったら
「どうやって作ったんですか?」の普通に聞かれる質問が
「どうしてこんな事を考えたんですか?」と質問してくる人達になったら。
多分素敵な社会の匂いがするんだろうな。
その為の空間。
そんな未来の時間を呼び込む為の重心として
Bar The ICEは作られています。
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