2010年4月25日日曜日

九州に帰り着いたら

感覚が違う。

緑が年中有る。その事が戸惑いを生ませる。

そして、寒い。

北海道の「想定内寒さ」と違い、準備無しで寒さを体験してるよう。




これらが僕の中の時計をいじる事になっている様だ。



僕のこの肉体も、所詮物質。

そのまま進んでみよう、そう思う。


明日は「モリンガ植樹祭」

2010年4月16日金曜日

マカオ

6月に行く事決定。
ハワイから始まり、昨年はオーストラリア、そしてマカオ。
そのどれもが、経緯族的に行くことが可能なのがうれしい。


こんな人生が待っていたとは、若いうちにはわからないものだ。

2010年3月21日日曜日

吹雪だ!

今日でBar The ICEは閉店です。

ココ数週間、何気なくいつもそのタイミングを意識していたし、
それが僕のフィールド意識下では,一体どんな「信号を感じれば良いのだろうか。」と
実態有る時間を過ごせた要因はこの点だった、
この事を日に何度も考えていた。
仕事中、風景を見ながら、食事をしながら、ドライブしながら・・・・・・・
いつも僕に「この事を」考える事にさせてくれる。

それが、いつしか「テンポ」を僕の中に生み出していた事を、
今日の吹雪を見つめていて思い当った。

3月に入り、人の流れが変わり、不思議な空気感な日が入りだした事を覚えてる。
最初は「中国系な人達」と思うだけだった。
しかし、次の日も同じ空気感になり、
少しずつ少しずつドットを抜かれていく様に、満ちて質量も同じだけれど、何かが違う感覚。
春の力がこの山奥の場所に吹き込んでる。
目では見えない層(平面構成された状態のフィールド)と同じ様な物と言えば良いのだろうか
春の力はピンク



日本人は40年前に流行った生活の為に選んだ今までの流れ
その中には何が必要だったのかを、個人個人が持てた時点で、
経済的にも人間的にも、そして生き物としても、不必要にされる存在ではなくなると思う。
僕ら日本人の質感の大きな要素には、大いなる文化都市大陸中国が有ったからだと僕は思ってる。
僕らも独自の豊かな感性や流通を持った文化集落をその時点で完成させていたけれど、
多くの工作物に関して(食材や工芸、多岐に渡り)中国が先行していたのは事実。

多分一番最初の感覚は「感激」したんだと思う。
ゾクッと来る感激は、その事が解る意識が無ければ、共鳴出来ないわけだから
我々にもその事が評価出来る点も有ったと古代遺跡を見て思う。
だいたいにおいて、私を含めたシャモは(ココは北海道なので我々は後から入った者)
どこから何をしに来た人達なのかね。
どんな意味で?

2010年3月10日水曜日

何だか、気になる奴が居る。
そいつが問題を起こしたらしい。
「・・・・・・・・」と書くくらいしか思いつか無い心の「感覚。」


その瞬間、もう一人同じ様なフィールドに居る友人を思い出す。

そいつとこいつは、また有人同士だでもある。

『・・・・・・・・・」同じだけど、ちょっとリズムが違いが有るかな「?」の『?』

同じフィールドの対局に有る関係。
そのフィールドと僕との位置関係が、しっかりと僕の中で見えた。


僕と奴との関係、その関係を思い出し生まれる人間関係の図式。
そのタダの図式に、どんな感情が埋め込まれたイベントだったのかと「思いを馳せて」見るのかで、この図式の僕の心の中での位置が変わる。



どんな文章で表現したら、僕のこの瞬間感じた
「心と視覚と、皮膚の表面の感覚が感じられる」
対局化されてるが一つのフィールドにある事を認識出来てる事
オブジェとオブジェ
見えない立体と視覚化されてる立体との接点




               私 と あなた
                 対 局
               貴方の友人と貴方
                僕の周りと僕


      接点を面に変え、この事を違う意味に置き換え考査すると


               四つの面を持つ立体
            三角形の面で出来た正4面体



         一つずつの事柄を、一つの固まりで捕らえたら

                 • に •
                 に • に
                   •
                   で
                   • •
                   • •
             
             立体の図形から平面が生まれる


  面の発生時に、もう僕らの「心」を作るフォーマットが生まれたのかもしれない。


2010年3月5日金曜日

ようやく捉まえた


僕は自分の世界感が、多くの人達の住む世界感と噛んでいる事を感じだした。
今までの自分に感じれなかった感覚を、今年感じた。
多分昨年の全ての時間が、僕に経験させてくれた事から「生まれた」感覚だと思う。

僕は、人の側ではない事を改めて感じた。
僕は、自然の側から、人と接している事を。

2010年2月19日金曜日

だから、ドライブに行こう

ホワイトアウトの世界。
真夜中の山道。
雪の層を突き抜けて、その上に行くと、星空。

帰り道に広がるキラキラな世界。

宝石のちりばめられた世界が、今僕らの前に生まれてる。

「雪」と見るのか、「雪の結晶」と受け止めるのか、
それとも「はかなき結晶」とするのか。

どれも現実である。


その現実との接点が,見るモノの立ち位置でしょうね。

2010年2月16日火曜日

アイヌ シャクシャイン

この響きの懐かしさは、多分誰とも違った思い出を僕に思い出させる。
60年代の安保や民族闘争にエタ非人問題。
そのまっただ中に、僕ら家族は入っていた。

恵庭の我が家のお隣は、自衛隊の戦車部隊の演習地。
対戦車用のヘリコプターや超低速飛行のジェット戦闘機、それに機関銃に投下爆弾。
僕はこの音の中で10年を過ごした。

学校のクラスの子達の両親の7割近くが自衛隊関係だったのを思い出すが
この家に引っ越してから、僕らの家族の音の中には機関銃や大砲、
それに戦闘機の急降下の時の音やが満ち満ちた生活が始まった
ただし、僕らとは違い、彼らの生活環境に迄、
この音は届いていたかどうかは定かではないが
我が家のように、この音のまっただ中ではないことは事実だ。




その分戦争の戦いの意味も分かる。
そして無意味さも感じる。

300年前の蝦夷地に起きた戦も、
この環境が作ったステップだと思う。
そのステップをどう超えるかが、この300年をどう過ごしたかの答えだろう。


今年、父が依頼され造った像が40年ぶりに銅像化される。

この像を造ることから生まれた人生の変化はなかなか興味深いものだった。
僕が今この姿になったのも、この分岐が影響している事は確かだ。


そして、僕は、父の踏み残した道のりを、
少々次の人達に伝える為にも踏み進んでみようと思ってます。