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2012年7月23日月曜日

認識する

「今おこった事は、もう過去だ。」


朝っぱらから、こんな事を話しだして,嫁さんは「?」と云う顔をしていた。

昨夜夜中にふと考えだしたら,目が冴えてどんどん思考し続けて得たワードは
「僕ら自体は過去の中に居る」といっていいのが現実なのではないか?
という疑問。

実際は今と云う「未来」と「過去」との間の「質感」つまりは「間」と云う「膜」に居るのだが、その膜はスポンジの様に時間が素通りしていて、今と云うもの自体は
「もう過去」になっている存在の上にしか乗っていない。


過去に左右されて未来を決めるには、
あまりに判断するにややこしくなって来ている最近。
我々50年少々の経験値の個が、上手い事やれるはずが無い気がする。
それも、しっかりとしたガイドが居た訳でもなく、
適当な感傷的な表現の中に育った僕らが、現実と向き合った次世代への答えを出し続けるには、ちょっと役不足。




そう思うと、小さな時間と小さな環境だけで、多いに交わる生き方を選択した方が
役割を認識出来る感覚は研ぎすまされる様な気がした。

日本人は村サイズが良いのではないかね。



2012年6月14日木曜日

王道で進む」と言葉で話すと分かりやすい

最近のテーマだな。
「王道」
自分に取っての「王道」であれば良い。
いずれこの件に関してアクションが起きる。
その時今まで自分が「何」を「王道」としていたのかを見る羽目になる。
そして、そこでまた「吾が王道」について再考する。
そして、「王道」=「摂理」とが等しくなったら。
まさに「王道」なのだからか、「我」の道を歩いている事になる。



歯医者に大学病院を選んだ。
美味い下手は相性ってのも有る。
だったら、素人が一生懸命にしてる方が納得いく。
良いやつだった。
素直な良いやつだった。
いい子だったんだろうな、そんな感じ。
土曜日遊びに来るように呼んだ。


病院の駐車場の止めたバイクの右側のバックミラーが盗られてた。
ほかは何でも無いから、「なんだろう?」と思った。
錆びた市販バイクの右側ミラーを盗る理由って?
右側は追い越しの際に必要。
でもいつも右も左も後ろまで見ちゃう。
だって怪我も死にたくもないから。

そいつには、そいつらしい人生が有って、
そう生きて行くんだな。と思えた。



ラーメン食べて、息子が一人前をぺろりと食べた。
診療中3時間も椅子に座っていた5歳。
十分素敵なやつだと思ったので、遠出してご飯を食べた。
途中博多の街に入ると何だか危険な空気が道からでてる。
注意して安全運転。
横を中型な日本車のバイクに乗った大学生の様なお兄ちゃんが抜かす。
その後をボックスカーのごついやつが、そのバイクの横につけ幅寄せを目の前でしてる。
「ここ、北九州か?」
なにげに話は分かるが立ち位置が違いすぎる。
全くもって品がない。
しゃしゃっとすり抜け信号でバイクの兄ちゃんの横に止まって、
「お兄ちゃん、落ち着きな。そのままじゃ事故に遭う。
オレも昨日それで捕まった。スピード違反で。
まずは落ち着きな」ニヤリ。


帰り道海の横の空き地に止まってた錆びたワゴン車とその周りが燃えて、
消防車とパトカーが居た。

海に二人で遊びに行った。
帰ってから、ふと今朝朝食の席での会話を思い出した。
ちょっとチャレンジをさせ過ぎて、チャレンジが楽しくなくなった昨今
ミカに話した。
「オレ楽しいお父さんじゃ最近なくなって、ボダイにごめんねって言ったんだ。」
この時から、以前の様に仲良しになった気がする。
だから、海から上がって僕のシャツを貸して、僕は海パン1枚でバイク。
シャワーを浴び、着替えてさっぱりした夕方、
外のベンチで二人ですわって、ちょっと大きめのさざなみの音を聞きながら
地球の話をした。
したい、ほしい、見たい、食べたい、という心の話もした。
どれだけ伝わっているかより、
そういう事を話し聴く事に意味が有ると思う。

2011年8月6日土曜日

そわそわする一日

晩ご飯を食べながら、薄曇りでちょっと蒸し暑く、
それでいて肌寒かった海の水を思い出し、
今日一日なんだか焦点が合わなかった事を妻に報告する。

一昨日家具屋の知りあいの所から持って来た、一人掛け用の無垢の椅子が3つ。
全く違ったコンセプトで作られて入るものの、素材が同じ。
高さも、素材の扱いも違い、高さや重さまで違う3つの椅子。

これらをうまい事連結させて、ソファーを作るのが今回のチャレンジ。

誰から頼まれた訳でもないこのミッションは、
僕が昨年閃いたミッション。
又おもちゃが生まれた様なものだが、クオリティーと言うものを作るには
こんな事も必要なんです。



っで、朝から向き合う気持ちは満パンなのに、気分が合わないんです。


で妻に話している時に、
今日が広島原爆投下の日である事を思い出す。
朝市役所の野外スピーカーで黙祷のアナウンスと、サイレン。
4歳の息子にこの日の話を、これをきっかけに話しだす。
「人間は力で勝ってもそれではいけない事を、この事から学んだんだよ。」と。
しかし、説明すればするほど、幼い子どもたちの喧嘩の方程式は
そのまま今の社会構造と同じ事を感じた。
人類は、過去をこうやって振り返る事も出来るが

黙祷し、それを我が身に移し込むには、
この数分の行為では意味が無いのかもしれない。


今日一日はやはりこの過去を思い出し、一日を生活する事が「最善」のような気がするが、そんな時間を持てる環境を、人々が作れるかどうかは分からないな。



2011年7月13日水曜日

久々に作ると心まで新鮮だ

これを障子に貼付けてもいいでしょ。

久々に九州で紙を作る。
多いに暑い。
夕方までかかって汗だくだった。
当然ながら背中が真っ赤にやけどした。
夕方近所の草刈りをして、
アロエを発見!草刈りのお代にデカイのを貰う。
夜塗ってちょっと落ち着く。

作ってて思った。
久々の九州での紙は、温度や湿度の関係で
その日の内に勝負を付けないと次の日の気温と湿度で
追加のタッチを許さない場合が多い。
だから、少々焦り気味で作ってしまう。
このささやかな焦りが、作ってる最中の僕の頭に、
様々は空想やら妄想を呼んでくる。
良い話、悪い話、思い出やら後悔やら、閃きやら発見やら・・・・
しかし、どれもが、実は邪魔なのだ。

大切なのは一体となっている事。
次の手はずさえ考えない。
そんな事は次なんだから、今考えない。
終わってから、次を考える。

つまり、
ひたすら愛するのみ。

覚えてるつもりで、又忘れてた。



明日も作っちゃお。

2010年8月26日木曜日

2%だけ開いてる

これをどうビジュアル化出来る?

「2%だけ、開いています。」



光はそこから漏れてるはずだ。

2009年12月9日水曜日

ニセコ アイスバー

さて、始まりました。



メインタワーの中核には、仲間が集まり水晶に息を吹きかけ設置する儀式を毎年行うんです。


今年は明日行う予定です。




これから始まる創作から、多くの人々の幸せなため息を、
このタワーを形作る氷に交じらせ、
春になると大地に染込ませ、
100年先の湧き水になるまで、
この大地に記憶してもらうんです。
水への記憶。

幸せなため息を出させる為の形。
それを創る事が仕事。
100年先の生命たちへのプレゼント。

「その水が、何故美味いかを知っているかい?」

このフレーズを使える人間を、
多く生み出す事が、大切な役目。

2009年10月27日火曜日

出発まじかに迫り

アワダタしい感覚と、どこか清々しい感覚が織りなす感覚。

例えるなら、「胸まで浸かって、川を渡る」
流れを感じ足元を探りながらの下半身、
その状況をコントロールするしか無い頭脳。
泳いでいるのなら、頭まで水の中なのだがね。

この感覚は面白い。