2012年9月11日火曜日

内圧そして名前

黒澤明の「椿三十朗」の最後のシーンで、
切られた相手の血しぶきが、映画のシーンでは初めての「飛び散る血飛沫」だった。
これ以降、決闘やら戦いのシーには「血しぶき」が頻繁に登場してくる。


僕の身体を駆け巡るこの血液の、動脈にかかる内圧と静脈にかかる内圧
送り出し、そして吸い込まれる。
これが1サイクルで行きてる限り続く。

そして、この肉体はその爆発的なPowerを、まるで感じさせずに柔らかく肌で包んでいる。

小さな羽毛の様に柔らかな肉体の赤ん坊。
どこを触れても、そんな内圧なんか感じさせない。
切りどころが悪ければ,吹き出す血しぶき。
そんな猛烈なPowerなんか、抱き上げた時には
微塵も二の腕に伝えて来ないこの肉体。

パンパンに張りつめていてくれたなら、
僕らは何を感じるんだろう。

人を動かす「衝動」
そこには、とんでもない「内圧」が仕込まれてんだろうな。


5人目の娘よ今日は。
君の名前は,何がいいかな?

2012年8月9日木曜日

島の人

僕らは大きな空間で生きてます。
その端には海がそこまでも広がる場所が有り、
そして、その途中には空の雲にまでかかる様な山が有るんです。
過ぎ行くスピードを,どんどん遅くして行くと、
目には色々な物が入りだします。
そして、目が慣れだしたら、今度はそこに生きている動物や
植栽の違いまで見えて来るはずです。

自分の家の近所に有る,動物園に居てどこの山にでも居る生き物も
スピードの変化で,自分の目で見つけ出せる様になる時に、

ようやく僕らは当たり前の感覚を取り戻す事が出来るように感じます。


しかし、この大きな空間より,大きな空間がそこには有り、
それ故に血で血を洗う様な生き様も有るんです。

僕らはこの大きくて小さな空間を、
本当にちゃんと比較する事が出来た上で認識しているのでしょうか?

本当に、「我々は島国である故に」と云う枕詞の意味合いを、
しっかり他国との関係において分かっているのかな〜〜〜〜
と、今日思いましたね。


ロンドンオリンピック本当の中身って、どんな事の堆積なんだろう。




2012年7月23日月曜日

認識する

「今おこった事は、もう過去だ。」


朝っぱらから、こんな事を話しだして,嫁さんは「?」と云う顔をしていた。

昨夜夜中にふと考えだしたら,目が冴えてどんどん思考し続けて得たワードは
「僕ら自体は過去の中に居る」といっていいのが現実なのではないか?
という疑問。

実際は今と云う「未来」と「過去」との間の「質感」つまりは「間」と云う「膜」に居るのだが、その膜はスポンジの様に時間が素通りしていて、今と云うもの自体は
「もう過去」になっている存在の上にしか乗っていない。


過去に左右されて未来を決めるには、
あまりに判断するにややこしくなって来ている最近。
我々50年少々の経験値の個が、上手い事やれるはずが無い気がする。
それも、しっかりとしたガイドが居た訳でもなく、
適当な感傷的な表現の中に育った僕らが、現実と向き合った次世代への答えを出し続けるには、ちょっと役不足。




そう思うと、小さな時間と小さな環境だけで、多いに交わる生き方を選択した方が
役割を認識出来る感覚は研ぎすまされる様な気がした。

日本人は村サイズが良いのではないかね。



2012年6月25日月曜日

悩み育てる」の次はどんな世界か

1の次2。
2をどう生むか。生まれるか。

1の中には何が入れるか。

ほんの少しの「揺らぎ」からほんの少量の「うねり」が生まれるのではないだろうか。
質量の重なりが質量の均一化の中に違いが生まれるのではないだろうか。

それらが長い時間を経過した時に、
綿ゴミの様に引力や摩擦で何かが発生するのではないか。
割って行く事で、最初が何かに突き当たる。

そうなんだろうか。

実際は掴めないけど、けん論と云う手法で理解できる。

でも実は何も手の中に入れて経験出来るものは無い。


寄り集まった筋がより揺らめきと共に大きく太くなり
いずれその断面積故の裂けが生じる。

分離

その分離する質感の中に、何かが吸い込まれて行く。
液体がこの膜を通す事で内部に溜まり、
一つの核=母体が発生する。

2012年6月14日木曜日

王道で進む」と言葉で話すと分かりやすい

最近のテーマだな。
「王道」
自分に取っての「王道」であれば良い。
いずれこの件に関してアクションが起きる。
その時今まで自分が「何」を「王道」としていたのかを見る羽目になる。
そして、そこでまた「吾が王道」について再考する。
そして、「王道」=「摂理」とが等しくなったら。
まさに「王道」なのだからか、「我」の道を歩いている事になる。



歯医者に大学病院を選んだ。
美味い下手は相性ってのも有る。
だったら、素人が一生懸命にしてる方が納得いく。
良いやつだった。
素直な良いやつだった。
いい子だったんだろうな、そんな感じ。
土曜日遊びに来るように呼んだ。


病院の駐車場の止めたバイクの右側のバックミラーが盗られてた。
ほかは何でも無いから、「なんだろう?」と思った。
錆びた市販バイクの右側ミラーを盗る理由って?
右側は追い越しの際に必要。
でもいつも右も左も後ろまで見ちゃう。
だって怪我も死にたくもないから。

そいつには、そいつらしい人生が有って、
そう生きて行くんだな。と思えた。



ラーメン食べて、息子が一人前をぺろりと食べた。
診療中3時間も椅子に座っていた5歳。
十分素敵なやつだと思ったので、遠出してご飯を食べた。
途中博多の街に入ると何だか危険な空気が道からでてる。
注意して安全運転。
横を中型な日本車のバイクに乗った大学生の様なお兄ちゃんが抜かす。
その後をボックスカーのごついやつが、そのバイクの横につけ幅寄せを目の前でしてる。
「ここ、北九州か?」
なにげに話は分かるが立ち位置が違いすぎる。
全くもって品がない。
しゃしゃっとすり抜け信号でバイクの兄ちゃんの横に止まって、
「お兄ちゃん、落ち着きな。そのままじゃ事故に遭う。
オレも昨日それで捕まった。スピード違反で。
まずは落ち着きな」ニヤリ。


帰り道海の横の空き地に止まってた錆びたワゴン車とその周りが燃えて、
消防車とパトカーが居た。

海に二人で遊びに行った。
帰ってから、ふと今朝朝食の席での会話を思い出した。
ちょっとチャレンジをさせ過ぎて、チャレンジが楽しくなくなった昨今
ミカに話した。
「オレ楽しいお父さんじゃ最近なくなって、ボダイにごめんねって言ったんだ。」
この時から、以前の様に仲良しになった気がする。
だから、海から上がって僕のシャツを貸して、僕は海パン1枚でバイク。
シャワーを浴び、着替えてさっぱりした夕方、
外のベンチで二人ですわって、ちょっと大きめのさざなみの音を聞きながら
地球の話をした。
したい、ほしい、見たい、食べたい、という心の話もした。
どれだけ伝わっているかより、
そういう事を話し聴く事に意味が有ると思う。

2012年5月26日土曜日

形態を思いつく・・ってのは。

記憶というのは、単純な衝撃で生まれるものではないらしい。
友人で生物学を長い事やっていた友人と話していて、
そう教わった。

様々な要素、匂いや見え具合に、音に意味に、内容に・・・と
多様性が作る籠とでも言うようなものが出来上がらないと、
記憶にまでならないらしい。

そんな事無いよと思う事も、その話を聞いた時に思ったが、
よくよく思い出すと、やっぱり様々な要素が入っている事は、
その後、何かを記憶し、その後思い出した時に考査すると、
やっぱりかなりの多面性を持った籠をイメージできる。



その多面性の籠が、今度はもう一つの大きな籠を作る分子となって、
次の形態になる。
別段違和感無い順番だ。


しかし、ちょっと待て。

どこから、その要素が、刺激的なり感動的なりと言う「要素」としてこの吾が脳みそに取って「重要」とされて来たのか。
その最初の基準って「どこから」の選択なんだろう。
遺伝子?
かもね。

中国の諺を、その友人は最後に言ってた。
男は歳を取った成功者、女は若くて健康な体。
遺伝子はより磨かれたもの
母体は若くて健康。


形態のひらめきで、相互関係性の無い場所から同じようなものが
たまに生まれる事が有る。
僕も数回以上この経験が有る。
目撃した事も有る。
しかし、何も互いに知る由もないのに。

有るフィールドで、必然的に生まれて来たものは、
そのデザインの質においての違いは有っても
生まれた瞬間の要因には、
単純に思考や概念等の価値観の順番から生まれるからかもしれない。

2012年5月25日金曜日

脱皮できる?

違う視点から今のご時世を観てみたら。

さて、その前に、どんなご時世から観る事が出来るのか。

そんな事をふと思った。

政府の執行部から観てみたら。

外野から観てみたら。

政治に直結している産業の中心から観てみたら。


水に浮かぶ船の様。

雨風が無ければ筏でも「いける」と思うんだろうな。

又でかくなるにつけ、これって「陸地」と思えるようになるんだろうな。


戦後からの思想や方法論や社会観や、未来感。
多くの概念で出来た球体が生命の形になる為の最終段階に来てる感じのイメージ。
多くの無機質の集合体が、いかようにして有機体になったのか。

まるで、その瞬間を目撃してるような感じ。


「戦後」という要素以外にも多くの未解決な問題が、この連鎖の鍵となっている気がする。

縄文文化から弥生に入ってからの「何か」が無機質な波で終わらせるか。

風でそよぐ前髪にするのか。

より静かに向き合う必要が有る気がする。