この論理は「生命とは何か」と云う事を考える大きなきっかけになったと思う。
そして、ふと今の自分の周りを感じて思った。
企業と言う「システム」とでも言える構造自体が生命を持っている。
無機質の固まりでありながら、その表層に有機物を配置し、
その循環で一つの物体化をしている「地球」
だとしたら、
個人の思惑から生まれ、運動能力を高める為に「人」を吸収し
様々な場所へ「価値観」と云う胞子を飛ばし、共有化し進行させ
その事から存続を続ける「企業」と云うもの自体が
「生命」では無いだろうか。
様々な進化を遂げる物体は、無機質な光からの発展であると科学は決定している。
物質としての進化はここに来て、
人間が生み出した新たな「生命体」と、
どう共存出来るのか。
生命の頂点に立つ人類は、知らずに次の生命体を産んでいた様な気がする。
僕ら人類は、今奴隷の様に「生きる」事に従事している。
動物や植物はその感覚から、人間との関係をどう感じているのか。
僕ら人間も、この感覚で何を感じているのか。
人類は、人類とだけ話をしていても、答えは感じられないだろう。