2012年5月26日土曜日

形態を思いつく・・ってのは。

記憶というのは、単純な衝撃で生まれるものではないらしい。
友人で生物学を長い事やっていた友人と話していて、
そう教わった。

様々な要素、匂いや見え具合に、音に意味に、内容に・・・と
多様性が作る籠とでも言うようなものが出来上がらないと、
記憶にまでならないらしい。

そんな事無いよと思う事も、その話を聞いた時に思ったが、
よくよく思い出すと、やっぱり様々な要素が入っている事は、
その後、何かを記憶し、その後思い出した時に考査すると、
やっぱりかなりの多面性を持った籠をイメージできる。



その多面性の籠が、今度はもう一つの大きな籠を作る分子となって、
次の形態になる。
別段違和感無い順番だ。


しかし、ちょっと待て。

どこから、その要素が、刺激的なり感動的なりと言う「要素」としてこの吾が脳みそに取って「重要」とされて来たのか。
その最初の基準って「どこから」の選択なんだろう。
遺伝子?
かもね。

中国の諺を、その友人は最後に言ってた。
男は歳を取った成功者、女は若くて健康な体。
遺伝子はより磨かれたもの
母体は若くて健康。


形態のひらめきで、相互関係性の無い場所から同じようなものが
たまに生まれる事が有る。
僕も数回以上この経験が有る。
目撃した事も有る。
しかし、何も互いに知る由もないのに。

有るフィールドで、必然的に生まれて来たものは、
そのデザインの質においての違いは有っても
生まれた瞬間の要因には、
単純に思考や概念等の価値観の順番から生まれるからかもしれない。

2012年5月25日金曜日

脱皮できる?

違う視点から今のご時世を観てみたら。

さて、その前に、どんなご時世から観る事が出来るのか。

そんな事をふと思った。

政府の執行部から観てみたら。

外野から観てみたら。

政治に直結している産業の中心から観てみたら。


水に浮かぶ船の様。

雨風が無ければ筏でも「いける」と思うんだろうな。

又でかくなるにつけ、これって「陸地」と思えるようになるんだろうな。


戦後からの思想や方法論や社会観や、未来感。
多くの概念で出来た球体が生命の形になる為の最終段階に来てる感じのイメージ。
多くの無機質の集合体が、いかようにして有機体になったのか。

まるで、その瞬間を目撃してるような感じ。


「戦後」という要素以外にも多くの未解決な問題が、この連鎖の鍵となっている気がする。

縄文文化から弥生に入ってからの「何か」が無機質な波で終わらせるか。

風でそよぐ前髪にするのか。

より静かに向き合う必要が有る気がする。

2012年5月22日火曜日

私の心がポスターになる。セット。

一人一人の生まれてからの記憶より、記録の方が面白い。

過去を振り返って、「あんな事・・・・有ったよなぁ〜。」とか
「あの人・・・げんきにしてるかなぁ・・・。」とか思い出しても、
実ははっきりとをしたビジュアルは、脳の中の記憶容量から言って
かなりのビット数の集積体で、脳科学から言っても、
鮮明にはよみがえらないらしい。

だから、その当時の写真と偶然再会して思うのは、
ちょっと歪んだ感覚。
しっかり記憶していると「思って」居たものが、
ちょっとだけ違った彩色だったり、細かなフォルムは単純化されていた感覚。
しっかり持っている「つもり」な「記憶」じゃなくて、
時間が生んだ「記録」を「ドサッ」て、まき散らかして、
「眺めている」と、なんだか素敵な物語の空気が生まれるのは
ランダムな記憶を思い起こす「行為」と一緒。

まずは、僕の作った物語から感じてください。

そして、いつか多くの物語で展示会しましょうよ。

「私」という「物語」をいっぱい乗せてるのが、
この地球というステージだと思うんです。


「感謝」という言葉では短過ぎ。「恩返し」では聞こえが悪い。

昨日は金冠日食が朝有ったらしい。
そんな良い日の夜中の10分に、姪に電話をしてしまった。

衝動ってやつなんだろうかね????
電話をし終えて、ふと思った。
「オレ、どうして電話したんだろう。」って。
正確には
「どうして、そんな事を僕は出来たんだろう。
夜中に、数年に一度くらいしか合わない姪に。」




先々日、色々と仕掛けたイベントの日だった。
いや〜〜〜〜ヨカッッタ〜〜〜〜。
ヒッピーに観られがちだけど、僕はヒッピーではない。
赤でもなく右でも左でもない。
そんな僕ららしいイベントに3年目で変化した。

その会場を作っていた、前の日の帰り。
僕は店から道までの私有地の坂の、両脇を固める芝生の丘を原チャリでメイクしてしまったのだった。
ガタンと道に戻った瞬間。
「オレ、どうしてチャリで、あんな無謀と足がすくんだ事ぉ???選べたんだろう。」と
そう思った。
この、「そう思った」場所がこの時、「体」に感じた。
これは完全に、今年の冬の仕業だ。
僕の体に何かを仕込んでいた結果、
僕はこんな事をしていた。

そう、ガタンと道に戻った瞬間。
ずっしりとした緊張感が足に生まれだしたけど、
脳がもう終わってると宥めるかのような信号を出していたのを感じて
僕は正直驚いた。



最近何を作ってもタケナカらしいと言われる。
「オレをどうやったら、そう見えるんだろう。」と最近真剣に思う。と
まず話し、


「僕ら形を作り上げる人間は、
皆さんが観ている大きさにする以前にぃ、
その、大きさが作る形にする為の小さな形を模索し、
その責任を自覚しながら、コツコツ積み上げて
皆さんが観ている形が出来上がるんです。」

「例えば晴れた日に、人生のとある素敵な記憶を、どんなカーブに座れたら、
変える事は可能かどうか、を作る事が出来るのか」を
大の大人が真剣に丸く削った木のコブ撫ぜながら考えるんですよ。

という事を、売る人は知ってるかな?
形有る物に、しっかり触れて、どんな人生の話に参加する事なのかを手助けする事が、
セールスマンの仕事だと僕は思う」と夜中に電話した。

これを、どれだけ真剣なのかを話している時。
「オレ、まじめにこんな事言ってる。」と思った。
正確には
「マジだオレって。作家だな、オレにもこいつは分からん。」と思ってる自分が居た。