2011年7月19日火曜日

チャクラの話

なかなかやるな。

まとまっている様な
まだまだの様な
息子は僕の鏡。





様々な事柄に反応する人の頭に、心。
よくよく自分の場合を観察すると、今までの経験が頭にあって、
身体にはその触感が有り反応が出る様になっている。
そしてその経験が、単純なカテゴリーに分けられていて
心拍数をどうにかする。
この心拍数をどうにかする作用(ホルモンバランスを変える作用かもしれない)や
脈拍数が変化する事から生まれるこれ又反応かもしれないが
これは生命に取っては大きなイベントであり、刺激である。
これが又脳に作用して「心」と言う様な部位を、身体に感じる。
胸の奥深くに、それを僕は感じるけど、
どうもそんな一連の流れが僕には起きている。

そして、その心のちょっとした位置関係で
「浮ついた」や「引けてる」「沈んでいる」「前向き」というような身体バランスにまで繋がる感覚になる。

そして、それは丹田と言われる部位にもあり、
問題を理解し、覚悟を決めると「肝が据わる」と言う様な感覚が理解出来る。

相手に自分の気持ちを伝える時でも、
伝わる様に「さしだす」気持ちもこの時分かる。
投げつけるのではなく、受け取りやすい様に伝える事に「さしだす」やり方。

これらが一連の流れになるとき、それは頭脳、のど、胸、腹、下っ腹の位置に何かが起きる

身体全体=頭脳(深くではない大きな分類として反応)=胸(頭脳の反応により反応)=頭脳(これらの事柄からの反応や対処を考える)=腹(動物としての進むか止まるの反応)=下っ腹(意識しないと反応だけ)
これをもっと繊細に見てゆくと
色々と順番を変える事も可能だし
その順位を変える事で結果も変わる。
そんな事をやってて、ふと思った
これはチャクラと言われているモノの事かもしれない。
ただし、チャクラの事を僕はちゃんと調べる事も、興味を無かったから
同じ物かどうかは知らないけどね。

でも、人生観が変わるほどの物ではない。
僕の自分の身体に持ってる感覚は、事故に有ったりして、内蔵をいじられたり、
骨を触られた感覚があるから認知出来るようになったモノで
健康な人には想像出来ないものだと思うから。

2011年7月13日水曜日

川で遊ぶ事は川が綺麗になると云う事

だって、川に又来るじゃないですか。
一度来て、ゴミを捨てて帰れるのは、いつも来ないからですよ。
いつも来るには、時間や面白い事が満載なら良いんですよ。
この車の荷台には、テーブルも、パラソルもつけれます。
一度乗った子どもたちは、必ず又乗りたくなるし、
一度運転した大人は、又運転したくなるんです。
その連鎖で、川が綺麗になるんです。
川の真ん中で、お茶しながら、その周りで子供が遊ぶ。
良いじゃないですか。
私たち人間らしい。
出来れば、ハイブリッドだと、もっといいんですけどね。

だれか、素敵なエンジン下さい。

久々に作ると心まで新鮮だ

これを障子に貼付けてもいいでしょ。

久々に九州で紙を作る。
多いに暑い。
夕方までかかって汗だくだった。
当然ながら背中が真っ赤にやけどした。
夕方近所の草刈りをして、
アロエを発見!草刈りのお代にデカイのを貰う。
夜塗ってちょっと落ち着く。

作ってて思った。
久々の九州での紙は、温度や湿度の関係で
その日の内に勝負を付けないと次の日の気温と湿度で
追加のタッチを許さない場合が多い。
だから、少々焦り気味で作ってしまう。
このささやかな焦りが、作ってる最中の僕の頭に、
様々は空想やら妄想を呼んでくる。
良い話、悪い話、思い出やら後悔やら、閃きやら発見やら・・・・
しかし、どれもが、実は邪魔なのだ。

大切なのは一体となっている事。
次の手はずさえ考えない。
そんな事は次なんだから、今考えない。
終わってから、次を考える。

つまり、
ひたすら愛するのみ。

覚えてるつもりで、又忘れてた。



明日も作っちゃお。