2011年12月16日金曜日

もやもや感が抜けなかった

ここ数日なんだかスキッとしなくて、
一体何がどこに引っかかっているのかさえも分からず
ちょっとした事でイライラしていた。

昨日久々に(といっても数日ですが)奥さんがニセコまでバスに乗って来た。
夜7時はこの辺りはもう暗い。
ホテルの前で一人荷物を持って立って居た。
「こっちこっち」と誘ってそのままご飯。

イライラがそのまま出てしまう事に又イライラ。

ちょっと一人になってふと思い当たる事を見つけた。


今創作している場所と水の量について。

この二つが僕の中で引っかかっていた。

別段次の日相談すれば又話が変わって行くだろうに、
なのに、その事がどれほど大きな事柄なのかを
僕はちゃんと伝えきれていない事に引っかかっていた気がする。

今日その事を伝えたら、すっきりした。

この事にトイレで気づいて、奥さんに謝罪した。

「久々(数日ですがね)に会ったらハグでしょ!」
死んだオヤジの事を思い出す。
空港で迎えに来て、出て来てそのまま車に乗ったら、やたらと機嫌が悪く
数日口もきかず、よくよく聞いたら。
「久々に会ったのに、どうして走ってこなかったんだ!
どうしてなんだヒロヒコ!」とマジで言っていた。

うちの奥さんに、深い思いを感じた。


おのろけの話です。

2011年12月11日日曜日

月食

今年の最初がスーパームーン。
1月には2度の満月。
そして12月に月食。
何度と無く今年は月食が有った気がする。
日食も有ったのかな?

こんなにも月の騒ぐ年も記憶に無い。

僕にとっての今年のキーワードが「月」だった事を先日思い出した。

月明かりのリズム。
それが一年と云う時間の流れの基本だったなぁ〜〜〜
まだ終わっていない残りの時間を、
今まで意識した以上に「月」を意識してまとめて行こうと思った。

「月」が意味する本質とは何だろう。



2011年12月10日土曜日

NEW ICE コンセプト




雲の上からやってくる雪の結晶が生まれる前
冬の寒さで雲の水滴が凍りだし、結合し落ちてくる
その最中にあの6角形の姿に成るのです。

水滴型(ただ今縫製中)のビレッジの氷のオブジェは、
この雪に成る前の水滴を意味しています
雪の結晶を作る「核」が「塵(チリ)」で有る事は周知の事実ですが、
近年の科学はそのチリの中にバクテリアの存在を確認しました。

雪は一つずつが生命なのです。

この空間に入ったら、ぜひ抜けてる天井から空を見上げて下さい。
私がお伝えしたかった事が分かるはずです。

2011年11月10日木曜日

そうかも知れない。

昨日の9日に特許を申請して来た。
サーフボードの後ろに付ける装置である。
名前を「スプーン」とした。
スープに乗る為のスプーンである。

このスプーンの推進機構は実験やイメージの蓄積で生まれた。

それは、まるでBar The ICEを作るときと同じプロセスだった。

より繊細に時間の経過と、環境的なシュミレーション。
それに「結果どうなってもらいたいのか。」と云う「軸」
入り口は広いが、出口はかなり狭めのプロセス。
まさに同じである。

そして、最近感じるのは、この繊細なシュミレーションが正確で現実的であって
初めて次のより精妙なシフトへ移行している気がする。
Bar The ICEは今年今までに見た事の無い進化を遂げるつもりだ。
今までの7年、今まで父の手伝いを6歳の時にしたときからの43年を
まるで鏡に映したような反転を今年チャレンジしようと思う。
いいね〜〜〜
いいね〜〜〜〜〜
成功も失敗も無い感覚。
強いて言うなら、

「イケルはずだ・・・・・・。」と云う思いのみが、心に渦巻く。

風の動きや季節の温度が、レースのヒダの様に動いてる。
大粒の雪が空から降ってくるあの姿。
まさにあの縦横無尽な乱舞の様に、
右から左へ、一度降りた者がまた舞い上がる。
全くもって「生きている。」
より繊細に、精妙さを感じてみよう。

2011年10月13日木曜日

ふと感じた

ガイヤ仮説http://ja.wikipedia.org/wiki/ガイア理論

この論理は「生命とは何か」と云う事を考える大きなきっかけになったと思う。

そして、ふと今の自分の周りを感じて思った。

企業と言う「システム」とでも言える構造自体が生命を持っている。

無機質の固まりでありながら、その表層に有機物を配置し、

その循環で一つの物体化をしている「地球」

だとしたら、

個人の思惑から生まれ、運動能力を高める為に「人」を吸収し

様々な場所へ「価値観」と云う胞子を飛ばし、共有化し進行させ

その事から存続を続ける「企業」と云うもの自体が

「生命」では無いだろうか。

様々な進化を遂げる物体は、無機質な光からの発展であると科学は決定している。

物質としての進化はここに来て、

人間が生み出した新たな「生命体」と、

どう共存出来るのか。

生命の頂点に立つ人類は、知らずに次の生命体を産んでいた様な気がする。

僕ら人類は、今奴隷の様に「生きる」事に従事している。

動物や植物はその感覚から、人間との関係をどう感じているのか。



僕ら人間も、この感覚で何を感じているのか。


人類は、人類とだけ話をしていても、答えは感じられないだろう。

2011年9月24日土曜日

宇宙線って言う存在

「タイムマシン可能」ニュートリノ実験結果に専門家ら驚き

産経新聞 9月24日(土)7時56分配信

 名古屋大などの国際研究グループが23日発表した、ニュートリノが光よりも速いという実験結果。光よりも速い物体が存在することになれば、アインシュタインの相対性理論で実現不可能とされた“タイムマシン”も可能になるかもしれない。これまでの物理学の常識を超えた結果に、専門家からは驚きとともに、徹底した検証を求める声があがっている。

 ◆概念変わる?

 「現代の理論物理がよって立つアインシュタインの理論を覆す大変な結果だ。本当ならタイムマシンも可能になる」と東大の村山斉・数物連携宇宙研究機構長は驚きを隠さない。

 アインシュタインの特殊相対性理論によると、質量のある物体の速度が光の速度に近づくと、その物体の時間の進み方は遅くなり、光速に達すると時間は止まってしまう。

 光速で動く物体が時間が止まった状態だとすると、それよりも速いニュートリノは時間をさかのぼっているのかもしれない。すると、過去へのタイムトラベルも現実味を帯び、時間の概念すら変更を余儀なくされる可能性もある。

 それだけに、村山氏は「結果が正しいかどうか、別の検証実験が不可欠だ。実験は遠く離れた2地点の間でニュートリノを飛ばし、所要時間を計るというシンプルなアイデア。正確さを確保するには双方の時計をきちんと合わせる必要があるが、これはそれほど簡単ではない」と語る。

 ◆新たな一歩に

 スーパーカミオカンデ実験を率いる東大の鈴木洋一郎教授も「別の機関による検証実験で、結果の正しさを確かめることが大事だ」と慎重な姿勢だ。

 鈴木氏は、昭和62年に小柴昌俊氏がニュートリノを検出した実験で、超新星爆発で出た光とニュートリノがほぼ同時に観測されたことを指摘。「両者の速度に今回のような違いがあるとすると、ニュートリノは光よりも1年は早く地球に到達していなければおかしいことになる」と語る。

 実験に参加した名古屋大の小松雅宏准教授は「実験に間違いがないかと検証を繰り返したが、否定できない結果になった。公表することで他の研究者による検証や追試が進み、物理学の新たな一歩につながれば」と話している。




「存在」が作る「現実」には発見されていない「存在」も介入しているらしい。
それが確認される事で、僕らは何が変わるのだろう。
変わらないのに、理解や認識が変わっても、目で見てる世界との関係は
どうやったら「変化」させる事が出来るのか。


目や耳、鼻や皮膚感覚等のセンサーからの情報を、脳は制御出来てるんだろうか。

「解脱」ってここら辺の「変態」のことを解説していたのかもしれない。
瞑想をして、静かに「己」のない存在となって、世界とこ「己の身体」の関係を見つめた時に「悟」が、それを時間軸に載せて行く事は、至難の業だからだろうな。

2011年9月18日日曜日

自己紹介って難しい

僕は形を作るのではなく、
形を通して「文化」と言われている「何か」を
もう一度私たちは取り戻す事が出来ると思っているんです。

それはなんなのか、そこからが僕の生きているフィールドでの仕事。
なかなかややこしい表現ですみませんが
そう言う事なんです。

冬、北海道のニセコで、何故氷のバーを僕が創るのか。
夏に何故、僕ら家族はここまで帰ってくるのか。
全てが、この仕事の為に必要だかなんです。



久々にちゃんとした自己紹介がかけた様に思った文章が書けた。
かけた事に、何だか嬉しい時に感じる、あの「へへへへ」って
素晴らしい事だなって感じたさっきでした。

2011年9月15日木曜日

漢字の素敵な所













なにげにカッパを調べていて(息子の興味がカッパになって来たので)中国のカッパと云う項目に当たり、「そうなんだ」と思った。
孫悟空のカッパのサゴジョウ。
彼の初期の姿は僧侶だった。

ふと思う、ここ数十年でどれほどのイメージが最初と変わったのだろう、と。


侍って云う存在のイメージだって、今の僕が考えてる気迫や正気や殺気って、
本当に今の僕が思ってる通りなんだろうか。

あ〜〜〜〜〜〜48にもなって、10代に考えていた問いかけに出会うとは・・・


そんな思いで、その写真の横を見た。


形象文字「漢字」


この感覚でこの意味ありげなマークを見たとき。
「形の有るものにつての漢字と、意味合い的な言葉の漢字が有る事って・・・・」
柱、手、足、屋根、道、空、土、火・・・・成、良、凶・・・
形の無いものには、プロセスでこの形態が出来ている。


今の形の漢字になぜなったのか。


ここから考えると、ちょっと色々と面白い気がする。

2011年9月10日土曜日

僕が意匠登録や商標権に特許を習得した理由

自分より品のないものを許したくないから。

今まではそうだった。

今これらの権利を主張するのは、私の存在を残してあげたいから。

だから習得してから捨てます。

2011年9月6日火曜日

昨日までの風景と今日の風景の違い

そんな事が「意味」になる「人間の感情」って宝物の様なキラメキが有ると思う。

別になんら実用性はないものの、偏ると厄介な事しか見向きもしない。
そして空鉄砲の様に、偏ると大喜びで遠くまででも伸びてゆこうとする。

嵐の風景であっても、
写真家や気象学等の科学者には、心ときめく風景でも
その近くに住む川横の住人なら死を思い描く。

しかし、その場所に棲んだのはなぜだったのかの質問は、
以外と検討はずれに響いてる。
なんで、どこにクッションが有って、変な方向に向かって響くのか。

そこには、何かが有るからでしょう。

この見えない何かを見つけさせたら、
納得いくものの、見つかっては恥ずかしいと言う道理も動くので、
この場合もややこしい。


そんなこんなを気にしない存在は、
まるで海に集まる小魚の群れを見守る様に、無我になって行くのだろうな。
ただ循環の一部の状態。
鳥も入れば爬虫類も居るし、その同族であっても、個性が有る。

2011年8月30日火曜日

イチゴは夜大きくなるんだよ。と母が言った。

日中太陽の光線を浴びて光合成をして、根からも栄養分と水分とを吸い上げて
乾燥に耐えながら、そんなことして。

そしてその結果、夜の間に大きくなったり色ずいたりしてるらしい。

お日様の下で葉や茎なんかはどんどん大きく広がったりしてるのに。

実はちょっと違ったサイクルなんだ。


そんな事を、朝起きて、天井を見ながら今朝思い出した。


人類も日の光に象徴される「太陽暦を基準にした」的計り。
その計りだけでは、どうもミッシングリングを閉じる事が出来なかった結果になりそうな気がする。
分かったのは、誤差と思える様な小さな事も、
実は大切な要素であって、大ナタで切る様な考えたかでは答えが出ない様だ。
「太陽と月が有って、今の地球が有る」としたら
陰暦と言われるものとの関係も大切にすべきなのだろう。
親からの恩も、友人との縁も、今と言う瞬間にも意味が有る。
果てしなく無限に全ての方向との繋がりの中の「私」であろう。
ミリミリとしか進まなくても、そのミリミリが反対のモノを
大きく動かして行く事を知っておく事が、
一番肝心なのであろう。

故に、大きく緩やかに揺さぶる事が、大切なんだろうな。

優しさ、おおらかさ、許す事、認める事。
憎しみ、恐怖、怒り、蔑みも、同じく大きく揺さぶる力。

どちらも同じ領域の中に入っているオブジェであり、
この要素オブジェを理解し整理する事で、
様々な事がデザインが出来るんだろう。

しかし、これくらい究極なスタンスは、なかなか維持するに難しい。

維持しようも、必要ないのだから。

2011年8月19日金曜日

不思議

夜の暗闇で腕にとまった蚊は見えるのに、
モニターの文字が見えません。

新聞の文字も読めませんけど、
必死に読まなくてはならなくなった名刺のメールアドレスは見えました。

そんなもんなんでしょう。
肉体ってヤツはナマラちゃっかりしたヤツです。



そんな事に感心してると、ふと思うんですよね。
「自分自身を制御出来てるのか、出来ていないのか。」
「自己意識は何を持って基準を取っているのか。」


今日今年初めてのサーフィンしました。

海に入るまでドキドキしていたのが、
海に入った瞬間から「何も考えていない。」
ボダイが一緒にボードに乗りたいと言うので、
膝腰程度の高さの波の中、ボードに載せて海の中に。
いい具合の波に合わせて滑り出すボード。
「立って良いよ〜〜〜」と声をかけると、
じわじわと立つボダイ。

巧くなってもなれなくても、技術ではない何かを刻み込んでもらいたい。

それが僕の願い。

2011年8月18日木曜日

僕らは「選んで」いる。

今この瞬間は、「過去」に選んだ結果。

「・・・どうしよう・・・」と悩む瞬間が有ったとしても、
その結果は、また次の瞬間に結果として現れる。

だとしたら、

選んで来てるんだから、より多くの望みが入っていて、
それらが満足してゆく「選択」の方がより良い結果が待っている。

自分自身の為に自分自身が動く。

より多くの過去から育てて来た「理解」に、
より素敵な「認識」を。
それらが繋がり、脳内シナプスは活性化し、デザインされてゆく。



人生観をデザインする事は、いとも容易い。

2011年8月13日土曜日

少年達との夏

僕ら人類は、まだまだ少年なんだ。


夢や希望に満ちている。
恐怖やおののきに日々ドキドキしている。

今日はいい具合に月が出ていて、
ボダイとニイトと一緒に、肝試しに火山と云う山のてっぺんまでバイクで行った。
イノシシがでる山火山に、3人でバイクで登りながら、
ビビる二人と一緒に大声で歌を歌いながら。

頂上でエンジンを止め、ライトが消えた中から見る風景。

手を叩き大声で「俺は負けない!」を大声で叫びながら

そんな中で見る風景を、この人達に贈りたかった。

降りていく道で「弱い生き物を、それより強い生き物が食べるんだよ」と話す。

「負けてはいけない。」

そう、自分自身に負けてはいけない。

見えない空気に、負けないでもらいたい。

48歳からのそれが贈り物。

僕も、心でこのフレーズを、いつも叫んでいるんですよ。

2011年8月6日土曜日

そわそわする一日

晩ご飯を食べながら、薄曇りでちょっと蒸し暑く、
それでいて肌寒かった海の水を思い出し、
今日一日なんだか焦点が合わなかった事を妻に報告する。

一昨日家具屋の知りあいの所から持って来た、一人掛け用の無垢の椅子が3つ。
全く違ったコンセプトで作られて入るものの、素材が同じ。
高さも、素材の扱いも違い、高さや重さまで違う3つの椅子。

これらをうまい事連結させて、ソファーを作るのが今回のチャレンジ。

誰から頼まれた訳でもないこのミッションは、
僕が昨年閃いたミッション。
又おもちゃが生まれた様なものだが、クオリティーと言うものを作るには
こんな事も必要なんです。



っで、朝から向き合う気持ちは満パンなのに、気分が合わないんです。


で妻に話している時に、
今日が広島原爆投下の日である事を思い出す。
朝市役所の野外スピーカーで黙祷のアナウンスと、サイレン。
4歳の息子にこの日の話を、これをきっかけに話しだす。
「人間は力で勝ってもそれではいけない事を、この事から学んだんだよ。」と。
しかし、説明すればするほど、幼い子どもたちの喧嘩の方程式は
そのまま今の社会構造と同じ事を感じた。
人類は、過去をこうやって振り返る事も出来るが

黙祷し、それを我が身に移し込むには、
この数分の行為では意味が無いのかもしれない。


今日一日はやはりこの過去を思い出し、一日を生活する事が「最善」のような気がするが、そんな時間を持てる環境を、人々が作れるかどうかは分からないな。



2011年7月19日火曜日

チャクラの話

なかなかやるな。

まとまっている様な
まだまだの様な
息子は僕の鏡。





様々な事柄に反応する人の頭に、心。
よくよく自分の場合を観察すると、今までの経験が頭にあって、
身体にはその触感が有り反応が出る様になっている。
そしてその経験が、単純なカテゴリーに分けられていて
心拍数をどうにかする。
この心拍数をどうにかする作用(ホルモンバランスを変える作用かもしれない)や
脈拍数が変化する事から生まれるこれ又反応かもしれないが
これは生命に取っては大きなイベントであり、刺激である。
これが又脳に作用して「心」と言う様な部位を、身体に感じる。
胸の奥深くに、それを僕は感じるけど、
どうもそんな一連の流れが僕には起きている。

そして、その心のちょっとした位置関係で
「浮ついた」や「引けてる」「沈んでいる」「前向き」というような身体バランスにまで繋がる感覚になる。

そして、それは丹田と言われる部位にもあり、
問題を理解し、覚悟を決めると「肝が据わる」と言う様な感覚が理解出来る。

相手に自分の気持ちを伝える時でも、
伝わる様に「さしだす」気持ちもこの時分かる。
投げつけるのではなく、受け取りやすい様に伝える事に「さしだす」やり方。

これらが一連の流れになるとき、それは頭脳、のど、胸、腹、下っ腹の位置に何かが起きる

身体全体=頭脳(深くではない大きな分類として反応)=胸(頭脳の反応により反応)=頭脳(これらの事柄からの反応や対処を考える)=腹(動物としての進むか止まるの反応)=下っ腹(意識しないと反応だけ)
これをもっと繊細に見てゆくと
色々と順番を変える事も可能だし
その順位を変える事で結果も変わる。
そんな事をやってて、ふと思った
これはチャクラと言われているモノの事かもしれない。
ただし、チャクラの事を僕はちゃんと調べる事も、興味を無かったから
同じ物かどうかは知らないけどね。

でも、人生観が変わるほどの物ではない。
僕の自分の身体に持ってる感覚は、事故に有ったりして、内蔵をいじられたり、
骨を触られた感覚があるから認知出来るようになったモノで
健康な人には想像出来ないものだと思うから。

2011年7月13日水曜日

川で遊ぶ事は川が綺麗になると云う事

だって、川に又来るじゃないですか。
一度来て、ゴミを捨てて帰れるのは、いつも来ないからですよ。
いつも来るには、時間や面白い事が満載なら良いんですよ。
この車の荷台には、テーブルも、パラソルもつけれます。
一度乗った子どもたちは、必ず又乗りたくなるし、
一度運転した大人は、又運転したくなるんです。
その連鎖で、川が綺麗になるんです。
川の真ん中で、お茶しながら、その周りで子供が遊ぶ。
良いじゃないですか。
私たち人間らしい。
出来れば、ハイブリッドだと、もっといいんですけどね。

だれか、素敵なエンジン下さい。

久々に作ると心まで新鮮だ

これを障子に貼付けてもいいでしょ。

久々に九州で紙を作る。
多いに暑い。
夕方までかかって汗だくだった。
当然ながら背中が真っ赤にやけどした。
夕方近所の草刈りをして、
アロエを発見!草刈りのお代にデカイのを貰う。
夜塗ってちょっと落ち着く。

作ってて思った。
久々の九州での紙は、温度や湿度の関係で
その日の内に勝負を付けないと次の日の気温と湿度で
追加のタッチを許さない場合が多い。
だから、少々焦り気味で作ってしまう。
このささやかな焦りが、作ってる最中の僕の頭に、
様々は空想やら妄想を呼んでくる。
良い話、悪い話、思い出やら後悔やら、閃きやら発見やら・・・・
しかし、どれもが、実は邪魔なのだ。

大切なのは一体となっている事。
次の手はずさえ考えない。
そんな事は次なんだから、今考えない。
終わってから、次を考える。

つまり、
ひたすら愛するのみ。

覚えてるつもりで、又忘れてた。



明日も作っちゃお。

2011年6月1日水曜日

寒い家を温かくする。

先月思いついた。
非常にアナログで、実践的な技術。
そして、その晩に実験し確信を得た。


古い家の良さと、悪さ。
この両立をどのようなテクニックと金額で皆さんは成立させているのか。

お金に余裕のある人は、問題ない。
お金に余裕の無い人は、この問題がかなりネックになっている。
「気に入ってはいるものの・・・」
その結果として、この問題を解消出来ずに、捨てられてゆく建物もまだ在る。


僕の住んでいた、福岡の家も、冬の時期は恐ろしく寒かった。
九州と言っても、福岡は寒い。
横浜よりも寒い。
そして、夏の事を考え海の脇の家に引っ越してからと云うもの
薪ストーブをたいても、ほんの一部屋が温かいだけで
外の方が暖かな日が毎日のように続き、嫁は鼻水をたらしていた。

  「暖かさを放出するから、夏過ごしやすくなっている。」

これが古い家の大前提。(ただし本州)
古い家だから寒い(北海道)

そこで閃きました。

寒い家を温かくする方法は、
暖かさが何処へ移動している空間なのかを見つける事。

と言う事で、下記にそのテクニックを公開いたします。

暖かな空気は上に、寒い空気は下にある。
それが何処にどの程度あり、様々な所に有る隙間と、壁の断熱性とどう関わっているかを
を使って確認するのです。

用意するもの。
1、大きめの懐中電灯。もしくは100ワット程度の投光器(蛍光灯は駄目)
2、水中めがね(煙いです)
3、あまり匂いのしない、すすけないで煙の出るもの。(ここが命
4、暖房装置。(暖かさを作るため)
5、夜の時間(実験は夜やります)

実験は家族の協力のもと、ご飯を食べたあとにおこなって下さい
衣類等に匂いがしみ込む場合が在りますので、神経質な方へはお勧め致しません。

やり方は簡単、普通に生活している状況で、暖房をたき、
部屋の中を在る程度のを充満させ、電気を消す。
この時、煙を部屋の中に充満させる為に動き回りますが、
この人が動いて、空気に流れが出来ますが、5分程度ジッとしていると
部屋の中の隙間や温度で暖かな空気が漏れている所、その為に冷気が入ってくる所、
暖かな空気が滞留している所や、暖かな空気が冷やされている所等が明確になって来ます。

そこで懐中電灯等で部屋の中をよーく観てゆくと、この家の空気の流れが分かるのです。

そして、暖かな空気が外へ外へと出る場所を塞いだり、断熱材を入れたりする事や
冷気が入る隙間を埋める事や、滞留している暖気を扇風機で部屋に戻す方法等
各家庭のお財布や、工作能力等を相談し、解決に進める事で、
寒かった家は、必ず温かくなるのです。

なにげに理解している化学反応なんですが、
この煙を使う事で、「暖かな」とか「寒い」と言う抽象的な存在を目視出来る事で解決する。
いろりの煙が、天井裏に立ち上る、あれですよ。

この方法で良い結果が出た人。メールください。
感想や写真も一緒にね〜〜〜
一覧ページ作りたいので〜〜〜〜〜

著作権特許権フリーなアイデアとして公開します。

2011年4月28日木曜日

スンゲー

http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/pc921dcb6219f81e4d292bbe3d3838248



テオヤンセンに通じるね。見えてるね。

2011年4月16日土曜日

今までの何かが崩れ落ちていく

日本へ観光客が来なくなっているらしい。

いつまでなのか、そして、どんな人が来てたのか。
宣伝と格安感で来る人たちってどんな人だったのか。

僕らも彼らに対して同じ。

僕らはどんな人々に見えていたのか。



開国してドイツとイギリスに師事を仰いでいた日本は、
どんな国になると思われていたのか。
この二つの国にとってと、それ以外の国にとって。



責任を他国の法律を利用して押し付ける。
賢い人達のやり方が崩れちゃって、
見せつけられる現実は、
その傘下でヌボ〜〜〜〜〜と餌を食べていた生き物達にも降り掛かって来た。


狂牛病にインフルエンザで処分された生き物に対しての処遇は
生きてる我々が、生きてる人達にも執り行われている行為。


「因果応報」目を閉じたまぶたの裏に、この言葉が瞬きするたびに浮かんでくる。

2011年4月6日水曜日

作りたい

森は生きている。
空気は僕らに次の瞬間を与えてくれる存在。
その事をもっと伝える為には、
伝わる様に、もっと伝わる様にしていく事が、
次のステージのワードだな。

2011年3月4日金曜日

脳の中での話を見れるか?

「脳の一部で○○についての反応を○○研究所が確認した」等のニュースを読むたびに、
「いまだにそんな事をやってるんだ」と思う事が有る。

この「いまだに」と云う「感覚」は一体何故に僕の中に生まれていたんだろう。
過去の整理された記憶の「以前」の記憶は、
多分僕の「感情」の「軸」とも「へた」ともとれる様な部分を創っていると思う
そんな事を考えてると
ふと思うのが身体の仕組みの事。
言語中枢と視覚領域と五感の感覚が合わさった時に
「一つの感覚を創る。」
しかし言語が無くとも「視覚」や「五感」等の複数の刺激が合わされば
それはそれなりの「一つの感覚を創る。」事になる。
だとしたら
「やり方は違って、同じ「一つの感覚を創る。」は創れるのか?」と思う。



脳の特定の部位の反応が何なのかと同時に
なぜそこに創られたのかも考えると、
僕の中の「未だに」と云う感覚が無くなる様な気がする。






僕らは足元なんか見なくても階段を上がれる。
歩く時に足元を見なくても歩ける。
目の情報と時間の感覚と物体認識。
それ以上に個人の中に様々な反応や操作で動いてる。
あげた足が上がりすぎない様にしたり、右左を交互に出したり、体重を移動させたりね。

「目はモノを見る為に有るんです」はもうちゃんとした意味を伝えない誤訳とも言える時代になって来ている。


もう一度、我々はここまでの「英知」を使って、
「他」との関係をリセットさせる考え方を探す時期に来ているんじゃない。

次のステージな気がする。

2011年2月28日月曜日

ゆったりとした気持ちに響きだす言葉

から松の木の精霊が話しだした。
「何故かって?
それは、我々の命は滅びない事を我々は知っているからだ。
だから、我々は紳士に生きている。」






僕は意識を目の前に立っている「から松の木」になってみた。
昨日までの寒さが抜けた晴天は、そよぐ風にも乗って居た。
暖かみの有る風がそよぐ度に、
伸ばして居た腕や指先の様な感覚の新芽に刺激が走り
様々な未来への変化を導いてくれる。
その足元の根は、土から上と下との境界線に感覚のゲートを持っている。
感覚の大転換
土の世界へ進めている進化は、
この空からの力を余す所無く使い進められているプロジェクト。

我々はこの感覚の世界の住人には、その張り巡らせた神経網の上に感じる「振動」そして「重み」でしかない。
その「振動」と「重み」は様々な集合と雑音とでハーモニーを作り出している。





僕に話をしたのはどの木だったのか
当然分かって居たのに
ふとした瞬間
どの木も同じ様に話している気がした。




・・・石に名前を書いて、その木の根の先端付近に置いていこうかな・・・・・



永遠に進化する事、それは全てを持っている事に等しい。

その記憶に、あなたはどう写りたいですか。

2011年2月6日日曜日

芯と呼ばれるもの




Bar The ICEの裏の空間に次のステージを実験している。
そう思っていたけど、もう公開されてる空間になっていた。

子どもたちへ「チョコレートルーム」と紹介されて得る空間は
除雪で集まった「汚れた雪」と呼ばれてる雪を
水で溶かして作った空間。

「悪いものなど存在していない。」
「生かすここが出来ない。」から「悪い」と言う思考方法が
今の社会のリズムを刻むメトロノームの様に思う。

現実を「どこから見るのか」
また
「どうして」そこから「見て」いるのか。


温故知新

もっとモノを使わないで、知恵で遊ぶ様になったら

「どうやって作ったんですか?」の普通に聞かれる質問が

「どうしてこんな事を考えたんですか?」と質問してくる人達になったら。

多分素敵な社会の匂いがするんだろうな。



その為の空間。

そんな未来の時間を呼び込む為の重心として
Bar The ICEは作られています。

2011年2月1日火曜日

Bar The ICE niseko




天井が閉じて空間が又変化した。

来る人たちの表情が又変化した。

子どもたちに伝えたい事が有る。

大人達に伝えたい事が有る。

間に位置する僕のスタンスが、

多くの人の共感を得れる様になったのは

僕のよけいなものがそぎ落ちて

よりシンプルになったせいだろう。

まだオープンして一月になっていない。


2011年1月29日土曜日

重力 Bar The ICE 2011






今作ってるタワーの頭頂部に作った独自のノズル。
中心から15センチ外へ伸びてるステンレスパイプの先端は
直径1mmの穴があいている。

そこからたらたらと水滴を落とすと、
まるで磁石で吸い付けられる様に中央部分へ水はよってゆく。

最初はノズルの先端分が影響しているのではと考えた。
しかし、そうではなかった。
角度?
何度水量を調節し、ノズルの先端方向を変えても、
「たらたら」と落とす水量になるに従い
中央の柱にしている部分によってゆく。


その事を後日作ってくれた友人に話していたら
状況の説明が終わった途端、彼がこう言った。
「ヒロさん、重力だ」
何かがカチンと音がした様な感覚だった。


作ってくれた友人は、精密金属の削りだしでは日本で一番な男。
有名工場の最先端部品を名指しで受ける男。
10センチの厚さの鉄を切断する際、
上と下の場所で0,003mmまで正確に切断させる男。
上級者で0、01mm
この差は、100m走の1位と2位との差の様に
そして世界新記録をどれだけ縮める事が出来るかの挑戦と同じ数値。

だから知って居たんだ。



キノコの様に膨らんで来た柱の上の新雪。
「ハラハラ」と降りてくる大きな結晶が降って来る。
キノコの様に大きく膨らみ続ける雪の山の側面に
フッと引き寄せられる雪の結晶が見える。
「   ?    」
いや、知っている映像なんです。
よくここでは見る映像なんです。
そんなもんなんです。
でも
「・・・・?・・・・・」なんです。
そして、今日僕は6年前の実験の時に聞いた


「ヒロさん、重力だよ。」を思い出したんです。


落下速度の低下と
抵抗の多さ
低気温で起きる超伝導とまでは行かないまでも起きる何か?
大きな質量に対して引き寄せられる体積のバランスが、
ここニセコの形を作ってく。

Bar The ICE 2011は、もう昔の関係ではない存在だ。



今夜は札幌の藻岩山で作ったのを偶然来たと云う人達が来た。
これも何かの偶然だろうか。
それとも縁や必然だったのだろうか。



2011年1月28日金曜日

写真に撮れない空間






又生み出した




Bar The ICE 2011

写真に撮れない空間。
豪雪だから出来る空間
水で溶かして出来た空間は
そのまま洞窟と原理は同じ。

2011年1月27日木曜日

物質の反応だ

今作ってるBar The ICEには、いつも驚かされる事が一杯隠されている。

音、照明、どれもこれもが考えた事も無い関係性が有って、

驚く効果が生まれている。


風の通る道が感じられたり、物陰の包み込まれる安心感が有ったり。

日常では感じられない繊細な感覚がこの空間ではうごめきだす。

どうしてうごめきだすのだろう?

なぜうごめきだすのだろう?

今日は香港から来た女性の瞳にやらちゃいました。

美しい。

薄いブラウンの瞳に下からの照明。

2011年1月18日火曜日

毎日が勉強 Bar The ICE 2011




自然の英知を知るには
そこに広がる見慣れた風景が
科学の方程式と数学的な繋がりで出来ている事を感じれないと
見つける事は難しい。

2011年1月4日火曜日

新年を祝った


昨年マカオへ行った。

その前から始まっていた事の、アル意味で答えのようなきがした。

たくじのハワイの仕事もそうだった。

ニックとの話を付けてくれたチャックンありがとう。

藻岩の話を本当に一所懸命に考えてくれた君の心に、






僕はいつも感謝し勇気を今も貰っていますよ石津クン。

マカオと香港上海北京。

アジアだ。

お日様に最初に当たる東のライン。

どうもこのラインは、何か有りそうな予感がする。


新春の感想。