2010年3月21日日曜日

吹雪だ!

今日でBar The ICEは閉店です。

ココ数週間、何気なくいつもそのタイミングを意識していたし、
それが僕のフィールド意識下では,一体どんな「信号を感じれば良いのだろうか。」と
実態有る時間を過ごせた要因はこの点だった、
この事を日に何度も考えていた。
仕事中、風景を見ながら、食事をしながら、ドライブしながら・・・・・・・
いつも僕に「この事を」考える事にさせてくれる。

それが、いつしか「テンポ」を僕の中に生み出していた事を、
今日の吹雪を見つめていて思い当った。

3月に入り、人の流れが変わり、不思議な空気感な日が入りだした事を覚えてる。
最初は「中国系な人達」と思うだけだった。
しかし、次の日も同じ空気感になり、
少しずつ少しずつドットを抜かれていく様に、満ちて質量も同じだけれど、何かが違う感覚。
春の力がこの山奥の場所に吹き込んでる。
目では見えない層(平面構成された状態のフィールド)と同じ様な物と言えば良いのだろうか
春の力はピンク



日本人は40年前に流行った生活の為に選んだ今までの流れ
その中には何が必要だったのかを、個人個人が持てた時点で、
経済的にも人間的にも、そして生き物としても、不必要にされる存在ではなくなると思う。
僕ら日本人の質感の大きな要素には、大いなる文化都市大陸中国が有ったからだと僕は思ってる。
僕らも独自の豊かな感性や流通を持った文化集落をその時点で完成させていたけれど、
多くの工作物に関して(食材や工芸、多岐に渡り)中国が先行していたのは事実。

多分一番最初の感覚は「感激」したんだと思う。
ゾクッと来る感激は、その事が解る意識が無ければ、共鳴出来ないわけだから
我々にもその事が評価出来る点も有ったと古代遺跡を見て思う。
だいたいにおいて、私を含めたシャモは(ココは北海道なので我々は後から入った者)
どこから何をしに来た人達なのかね。
どんな意味で?

2010年3月10日水曜日

何だか、気になる奴が居る。
そいつが問題を起こしたらしい。
「・・・・・・・・」と書くくらいしか思いつか無い心の「感覚。」


その瞬間、もう一人同じ様なフィールドに居る友人を思い出す。

そいつとこいつは、また有人同士だでもある。

『・・・・・・・・・」同じだけど、ちょっとリズムが違いが有るかな「?」の『?』

同じフィールドの対局に有る関係。
そのフィールドと僕との位置関係が、しっかりと僕の中で見えた。


僕と奴との関係、その関係を思い出し生まれる人間関係の図式。
そのタダの図式に、どんな感情が埋め込まれたイベントだったのかと「思いを馳せて」見るのかで、この図式の僕の心の中での位置が変わる。



どんな文章で表現したら、僕のこの瞬間感じた
「心と視覚と、皮膚の表面の感覚が感じられる」
対局化されてるが一つのフィールドにある事を認識出来てる事
オブジェとオブジェ
見えない立体と視覚化されてる立体との接点




               私 と あなた
                 対 局
               貴方の友人と貴方
                僕の周りと僕


      接点を面に変え、この事を違う意味に置き換え考査すると


               四つの面を持つ立体
            三角形の面で出来た正4面体



         一つずつの事柄を、一つの固まりで捕らえたら

                 • に •
                 に • に
                   •
                   で
                   • •
                   • •
             
             立体の図形から平面が生まれる


  面の発生時に、もう僕らの「心」を作るフォーマットが生まれたのかもしれない。


2010年3月5日金曜日

ようやく捉まえた


僕は自分の世界感が、多くの人達の住む世界感と噛んでいる事を感じだした。
今までの自分に感じれなかった感覚を、今年感じた。
多分昨年の全ての時間が、僕に経験させてくれた事から「生まれた」感覚だと思う。

僕は、人の側ではない事を改めて感じた。
僕は、自然の側から、人と接している事を。