ココ数週間、何気なくいつもそのタイミングを意識していたし、
それが僕のフィールド意識下では,一体どんな「信号を感じれば良いのだろうか。」と
実態有る時間を過ごせた要因はこの点だった、
この事を日に何度も考えていた。
仕事中、風景を見ながら、食事をしながら、ドライブしながら・・・・・・・
いつも僕に「この事を」考える事にさせてくれる。
それが、いつしか「テンポ」を僕の中に生み出していた事を、
今日の吹雪を見つめていて思い当った。
3月に入り、人の流れが変わり、不思議な空気感な日が入りだした事を覚えてる。
最初は「中国系な人達」と思うだけだった。
しかし、次の日も同じ空気感になり、
少しずつ少しずつドットを抜かれていく様に、満ちて質量も同じだけれど、何かが違う感覚。
春の力がこの山奥の場所に吹き込んでる。
目では見えない層(平面構成された状態のフィールド)と同じ様な物と言えば良いのだろうか
春の力はピンク
日本人は40年前に流行った生活の為に選んだ今までの流れ
その中には何が必要だったのかを、個人個人が持てた時点で、
経済的にも人間的にも、そして生き物としても、不必要にされる存在ではなくなると思う。
僕ら日本人の質感の大きな要素には、大いなる文化都市大陸中国が有ったからだと僕は思ってる。
僕らも独自の豊かな感性や流通を持った文化集落をその時点で完成させていたけれど、
多くの工作物に関して(食材や工芸、多岐に渡り)中国が先行していたのは事実。
多分一番最初の感覚は「感激」したんだと思う。
ゾクッと来る感激は、その事が解る意識が無ければ、共鳴出来ないわけだから
我々にもその事が評価出来る点も有ったと古代遺跡を見て思う。
だいたいにおいて、私を含めたシャモは(ココは北海道なので我々は後から入った者)
どこから何をしに来た人達なのかね。
どんな意味で?