2012年7月23日月曜日

認識する

「今おこった事は、もう過去だ。」


朝っぱらから、こんな事を話しだして,嫁さんは「?」と云う顔をしていた。

昨夜夜中にふと考えだしたら,目が冴えてどんどん思考し続けて得たワードは
「僕ら自体は過去の中に居る」といっていいのが現実なのではないか?
という疑問。

実際は今と云う「未来」と「過去」との間の「質感」つまりは「間」と云う「膜」に居るのだが、その膜はスポンジの様に時間が素通りしていて、今と云うもの自体は
「もう過去」になっている存在の上にしか乗っていない。


過去に左右されて未来を決めるには、
あまりに判断するにややこしくなって来ている最近。
我々50年少々の経験値の個が、上手い事やれるはずが無い気がする。
それも、しっかりとしたガイドが居た訳でもなく、
適当な感傷的な表現の中に育った僕らが、現実と向き合った次世代への答えを出し続けるには、ちょっと役不足。




そう思うと、小さな時間と小さな環境だけで、多いに交わる生き方を選択した方が
役割を認識出来る感覚は研ぎすまされる様な気がした。

日本人は村サイズが良いのではないかね。



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