2010年6月28日月曜日

体裁

すごい言葉だ。
本意ではないが、建前や体裁ってものが有る。

つまり表現に奥行きやヒダがあり、それらを通して交流するってことは
それなりの手練手管を知ってでないと
ちゃんとした「おつきあい」が出来ないって事だ。

しかし、この普通な交流手法は日本だけではない。
世界中に有る所が、人間の不思議な所だ。

ボノボノと云うゴリラと猿との中間に居る生命は
信頼関係の構築の為のセックスや、
今後を考えての肉の贈答ってのをやってるらしい。

あんまり僕らと変わらない生活を、
木の上で毛皮だけでやってるらしい。

もちろん「体裁」ってのもその生活環境の中には生まれて来てるんだろうな。
ポリポリ頭掻いちゃったりしてるの・・・・


2010年6月23日水曜日

愛のすばらしさ

それは生命が選んだ「有効的な種の保存行為」

立場や年齢、様々な事柄を越えさせ血を混じらせる為に産み出された生命の知恵。

没頭し、集中させ興奮させ幸福感を与える。

物質としての進化や耐久性等の全ての要素を加速させる為に生まれた

だから、「愛」と云うものはすばらしく感じれるもの。

視覚の変化

生まれたての人類から50万年
視覚の変化は認知度の変化とシンクロする。

生まれたての赤ん坊が見た世界は、
それ自体の意味も区分けも無い立体の絵柄。
だとすると、
その「うねりの絵柄」が一つずつの「要素」の「集合体」へと変貌する際に
その「意味」の教え方で、世界が変貌して行くはず。



ご飯をゆっくりしか食べれない息子に
せかして食べさせながら、ふと思った。
「味が無くなるからただのモノになってるんだろうな。」
「感謝の気持ちが無い物にした所から、ただのモサモサ」
「気持ちがそれだした食事は、ただの栄養補給」
「味が無くなる」