skip to main
|
skip to sidebar
2010年6月23日水曜日
視覚の変化
生まれたての人類から50万年
視覚の変化は認知度の変化とシンクロする。
生まれたての赤ん坊が見た世界は、
それ自体の意味も区分けも無い立体の絵柄。
だとすると、
その「うねりの絵柄」が一つずつの「要素」の「集合体」へと変貌する際に
その「意味」の教え方で、世界が変貌して行くはず。
ご飯をゆっくりしか食べれない息子に
せかして食べさせながら、ふと思った。
「味が無くなるからただのモノになってるんだろうな。」
「感謝の気持ちが無い物にした所から、ただのモサモサ」
「気持ちがそれだした食事は、ただの栄養補給」
「味が無くなる」
0 件のコメント:
コメントを投稿
次の投稿
前の投稿
ホーム
登録:
コメントの投稿 (Atom)
フォロワー
ブログ アーカイブ
►
2015
(1)
►
8月
(1)
►
2013
(2)
►
9月
(1)
►
6月
(1)
►
2012
(22)
►
11月
(1)
►
9月
(1)
►
8月
(1)
►
7月
(1)
►
6月
(2)
►
5月
(4)
►
4月
(4)
►
3月
(4)
►
2月
(1)
►
1月
(3)
►
2011
(31)
►
12月
(3)
►
11月
(1)
►
10月
(1)
►
9月
(5)
►
8月
(5)
►
7月
(3)
►
6月
(1)
►
4月
(3)
►
3月
(1)
►
2月
(3)
►
1月
(5)
▼
2010
(36)
►
12月
(1)
►
10月
(1)
►
9月
(2)
►
8月
(6)
►
7月
(5)
▼
6月
(3)
体裁
愛のすばらしさ
視覚の変化
►
5月
(6)
►
4月
(2)
►
3月
(3)
►
2月
(6)
►
1月
(1)
►
2009
(20)
►
12月
(4)
►
11月
(7)
►
10月
(9)
自己紹介
Hiro
芸術家って何でしょう? 何の為に必要なんだろう。 単純な区分の一つの名前が芸術家なのか 「いや、違うはずだ!」 と思って、芸術家という名前へ愛を捧げてます。
詳細プロフィールを表示
0 件のコメント:
コメントを投稿