まとまっている様な
まだまだの様な
息子は僕の鏡。
様々な事柄に反応する人の頭に、心。
よくよく自分の場合を観察すると、今までの経験が頭にあって、
身体にはその触感が有り反応が出る様になっている。
そしてその経験が、単純なカテゴリーに分けられていて
心拍数をどうにかする。
この心拍数をどうにかする作用(ホルモンバランスを変える作用かもしれない)や
脈拍数が変化する事から生まれるこれ又反応かもしれないが
これは生命に取っては大きなイベントであり、刺激である。
これが又脳に作用して「心」と言う様な部位を、身体に感じる。
胸の奥深くに、それを僕は感じるけど、
どうもそんな一連の流れが僕には起きている。
そして、その心のちょっとした位置関係で
「浮ついた」や「引けてる」「沈んでいる」「前向き」というような身体バランスにまで繋がる感覚になる。
そして、それは丹田と言われる部位にもあり、
問題を理解し、覚悟を決めると「肝が据わる」と言う様な感覚が理解出来る。
相手に自分の気持ちを伝える時でも、
伝わる様に「さしだす」気持ちもこの時分かる。
投げつけるのではなく、受け取りやすい様に伝える事に「さしだす」やり方。
これらが一連の流れになるとき、それは頭脳、のど、胸、腹、下っ腹の位置に何かが起きる
身体全体=頭脳(深くではない大きな分類として反応)=胸(頭脳の反応により反応)=頭脳(これらの事柄からの反応や対処を考える)=腹(動物としての進むか止まるの反応)=下っ腹(意識しないと反応だけ)
これをもっと繊細に見てゆくと
色々と順番を変える事も可能だし
その順位を変える事で結果も変わる。
そんな事をやってて、ふと思った
これはチャクラと言われているモノの事かもしれない。
ただし、チャクラの事を僕はちゃんと調べる事も、興味を無かったから
同じ物かどうかは知らないけどね。
でも、人生観が変わるほどの物ではない。
僕の自分の身体に持ってる感覚は、事故に有ったりして、内蔵をいじられたり、
骨を触られた感覚があるから認知出来るようになったモノで
健康な人には想像出来ないものだと思うから。