2009年11月29日日曜日

作りたい!




実家のお風呂は父と17歳の時に作った
未完成のモノです。

今日ニセコの温泉に入っていて、閃きました。
風呂につかって流れ落ちる「溢れたお湯」の音に手を加える事で、消えゆく水に感謝が贈れる。

  水滴の音。
   小さな落差が作る音。
    吸い込まれる時の音。

  下水って云うモノを表舞台に登場させてあげたいな。


  どうして照明って同じ器具を仕込むんでしょうね。
「光具合は立体の位置によって変わる」のではなく、あえてその行為で感じてもらいたい事を中心軸にして照明装置を変えて設置したら、多分物語がもっと見えると思うんです。


2 件のコメント:

  1. より繊細なフィールドへ
    僕らを連れて行ってください。

    また違った世界が見えるでしょうね。

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  2. itotin君
    昨日はよく寝ていたね。
    脳みそが働いて、疲労困憊だな。

    意識世界って云う言葉が昔有った事を思い出す。

    今日は朝大将とスカイプで話した時に、
    海岸と言う「膜」の話をさせてもらいました。

    見る位置で、意味が変わる事。

    そして、変わって見える事で、何をすべきかと言う

    自己への問いかけが生まれる事を確認した。

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