乾燥に耐えながら、そんなことして。
そしてその結果、夜の間に大きくなったり色ずいたりしてるらしい。
お日様の下で葉や茎なんかはどんどん大きく広がったりしてるのに。
実はちょっと違ったサイクルなんだ。
そんな事を、朝起きて、天井を見ながら今朝思い出した。
人類も日の光に象徴される「太陽暦を基準にした」的計り。
その計りだけでは、どうもミッシングリングを閉じる事が出来なかった結果になりそうな気がする。
分かったのは、誤差と思える様な小さな事も、
実は大切な要素であって、大ナタで切る様な考えたかでは答えが出ない様だ。
「太陽と月が有って、今の地球が有る」としたら
陰暦と言われるものとの関係も大切にすべきなのだろう。
親からの恩も、友人との縁も、今と言う瞬間にも意味が有る。
果てしなく無限に全ての方向との繋がりの中の「私」であろう。
ミリミリとしか進まなくても、そのミリミリが反対のモノを
大きく動かして行く事を知っておく事が、
一番肝心なのであろう。
故に、大きく緩やかに揺さぶる事が、大切なんだろうな。
優しさ、おおらかさ、許す事、認める事。
憎しみ、恐怖、怒り、蔑みも、同じく大きく揺さぶる力。
どちらも同じ領域の中に入っているオブジェであり、
この要素オブジェを理解し整理する事で、
様々な事がデザインが出来るんだろう。
しかし、これくらい究極なスタンスは、なかなか維持するに難しい。
維持しようも、必要ないのだから。