2011年8月6日土曜日

そわそわする一日

晩ご飯を食べながら、薄曇りでちょっと蒸し暑く、
それでいて肌寒かった海の水を思い出し、
今日一日なんだか焦点が合わなかった事を妻に報告する。

一昨日家具屋の知りあいの所から持って来た、一人掛け用の無垢の椅子が3つ。
全く違ったコンセプトで作られて入るものの、素材が同じ。
高さも、素材の扱いも違い、高さや重さまで違う3つの椅子。

これらをうまい事連結させて、ソファーを作るのが今回のチャレンジ。

誰から頼まれた訳でもないこのミッションは、
僕が昨年閃いたミッション。
又おもちゃが生まれた様なものだが、クオリティーと言うものを作るには
こんな事も必要なんです。



っで、朝から向き合う気持ちは満パンなのに、気分が合わないんです。


で妻に話している時に、
今日が広島原爆投下の日である事を思い出す。
朝市役所の野外スピーカーで黙祷のアナウンスと、サイレン。
4歳の息子にこの日の話を、これをきっかけに話しだす。
「人間は力で勝ってもそれではいけない事を、この事から学んだんだよ。」と。
しかし、説明すればするほど、幼い子どもたちの喧嘩の方程式は
そのまま今の社会構造と同じ事を感じた。
人類は、過去をこうやって振り返る事も出来るが

黙祷し、それを我が身に移し込むには、
この数分の行為では意味が無いのかもしれない。


今日一日はやはりこの過去を思い出し、一日を生活する事が「最善」のような気がするが、そんな時間を持てる環境を、人々が作れるかどうかは分からないな。



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