2011年9月24日土曜日

宇宙線って言う存在

「タイムマシン可能」ニュートリノ実験結果に専門家ら驚き

産経新聞 9月24日(土)7時56分配信

 名古屋大などの国際研究グループが23日発表した、ニュートリノが光よりも速いという実験結果。光よりも速い物体が存在することになれば、アインシュタインの相対性理論で実現不可能とされた“タイムマシン”も可能になるかもしれない。これまでの物理学の常識を超えた結果に、専門家からは驚きとともに、徹底した検証を求める声があがっている。

 ◆概念変わる?

 「現代の理論物理がよって立つアインシュタインの理論を覆す大変な結果だ。本当ならタイムマシンも可能になる」と東大の村山斉・数物連携宇宙研究機構長は驚きを隠さない。

 アインシュタインの特殊相対性理論によると、質量のある物体の速度が光の速度に近づくと、その物体の時間の進み方は遅くなり、光速に達すると時間は止まってしまう。

 光速で動く物体が時間が止まった状態だとすると、それよりも速いニュートリノは時間をさかのぼっているのかもしれない。すると、過去へのタイムトラベルも現実味を帯び、時間の概念すら変更を余儀なくされる可能性もある。

 それだけに、村山氏は「結果が正しいかどうか、別の検証実験が不可欠だ。実験は遠く離れた2地点の間でニュートリノを飛ばし、所要時間を計るというシンプルなアイデア。正確さを確保するには双方の時計をきちんと合わせる必要があるが、これはそれほど簡単ではない」と語る。

 ◆新たな一歩に

 スーパーカミオカンデ実験を率いる東大の鈴木洋一郎教授も「別の機関による検証実験で、結果の正しさを確かめることが大事だ」と慎重な姿勢だ。

 鈴木氏は、昭和62年に小柴昌俊氏がニュートリノを検出した実験で、超新星爆発で出た光とニュートリノがほぼ同時に観測されたことを指摘。「両者の速度に今回のような違いがあるとすると、ニュートリノは光よりも1年は早く地球に到達していなければおかしいことになる」と語る。

 実験に参加した名古屋大の小松雅宏准教授は「実験に間違いがないかと検証を繰り返したが、否定できない結果になった。公表することで他の研究者による検証や追試が進み、物理学の新たな一歩につながれば」と話している。




「存在」が作る「現実」には発見されていない「存在」も介入しているらしい。
それが確認される事で、僕らは何が変わるのだろう。
変わらないのに、理解や認識が変わっても、目で見てる世界との関係は
どうやったら「変化」させる事が出来るのか。


目や耳、鼻や皮膚感覚等のセンサーからの情報を、脳は制御出来てるんだろうか。

「解脱」ってここら辺の「変態」のことを解説していたのかもしれない。
瞑想をして、静かに「己」のない存在となって、世界とこ「己の身体」の関係を見つめた時に「悟」が、それを時間軸に載せて行く事は、至難の業だからだろうな。

2011年9月18日日曜日

自己紹介って難しい

僕は形を作るのではなく、
形を通して「文化」と言われている「何か」を
もう一度私たちは取り戻す事が出来ると思っているんです。

それはなんなのか、そこからが僕の生きているフィールドでの仕事。
なかなかややこしい表現ですみませんが
そう言う事なんです。

冬、北海道のニセコで、何故氷のバーを僕が創るのか。
夏に何故、僕ら家族はここまで帰ってくるのか。
全てが、この仕事の為に必要だかなんです。



久々にちゃんとした自己紹介がかけた様に思った文章が書けた。
かけた事に、何だか嬉しい時に感じる、あの「へへへへ」って
素晴らしい事だなって感じたさっきでした。

2011年9月15日木曜日

漢字の素敵な所













なにげにカッパを調べていて(息子の興味がカッパになって来たので)中国のカッパと云う項目に当たり、「そうなんだ」と思った。
孫悟空のカッパのサゴジョウ。
彼の初期の姿は僧侶だった。

ふと思う、ここ数十年でどれほどのイメージが最初と変わったのだろう、と。


侍って云う存在のイメージだって、今の僕が考えてる気迫や正気や殺気って、
本当に今の僕が思ってる通りなんだろうか。

あ〜〜〜〜〜〜48にもなって、10代に考えていた問いかけに出会うとは・・・


そんな思いで、その写真の横を見た。


形象文字「漢字」


この感覚でこの意味ありげなマークを見たとき。
「形の有るものにつての漢字と、意味合い的な言葉の漢字が有る事って・・・・」
柱、手、足、屋根、道、空、土、火・・・・成、良、凶・・・
形の無いものには、プロセスでこの形態が出来ている。


今の形の漢字になぜなったのか。


ここから考えると、ちょっと色々と面白い気がする。

2011年9月10日土曜日

僕が意匠登録や商標権に特許を習得した理由

自分より品のないものを許したくないから。

今まではそうだった。

今これらの権利を主張するのは、私の存在を残してあげたいから。

だから習得してから捨てます。

2011年9月6日火曜日

昨日までの風景と今日の風景の違い

そんな事が「意味」になる「人間の感情」って宝物の様なキラメキが有ると思う。

別になんら実用性はないものの、偏ると厄介な事しか見向きもしない。
そして空鉄砲の様に、偏ると大喜びで遠くまででも伸びてゆこうとする。

嵐の風景であっても、
写真家や気象学等の科学者には、心ときめく風景でも
その近くに住む川横の住人なら死を思い描く。

しかし、その場所に棲んだのはなぜだったのかの質問は、
以外と検討はずれに響いてる。
なんで、どこにクッションが有って、変な方向に向かって響くのか。

そこには、何かが有るからでしょう。

この見えない何かを見つけさせたら、
納得いくものの、見つかっては恥ずかしいと言う道理も動くので、
この場合もややこしい。


そんなこんなを気にしない存在は、
まるで海に集まる小魚の群れを見守る様に、無我になって行くのだろうな。
ただ循環の一部の状態。
鳥も入れば爬虫類も居るし、その同族であっても、個性が有る。