別になんら実用性はないものの、偏ると厄介な事しか見向きもしない。
そして空鉄砲の様に、偏ると大喜びで遠くまででも伸びてゆこうとする。
嵐の風景であっても、
写真家や気象学等の科学者には、心ときめく風景でも
その近くに住む川横の住人なら死を思い描く。
しかし、その場所に棲んだのはなぜだったのかの質問は、
以外と検討はずれに響いてる。
なんで、どこにクッションが有って、変な方向に向かって響くのか。
そこには、何かが有るからでしょう。
この見えない何かを見つけさせたら、
納得いくものの、見つかっては恥ずかしいと言う道理も動くので、
この場合もややこしい。
そんなこんなを気にしない存在は、
まるで海に集まる小魚の群れを見守る様に、無我になって行くのだろうな。
ただ循環の一部の状態。
鳥も入れば爬虫類も居るし、その同族であっても、個性が有る。
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