ビレッジの方が一段落して、同時進行で2カ所目のヒラフを作り出したとき、
正直なところ「疲れ」が身体全体を包んでいた。
様々な条件が創作する事、製作する事、想像する事を容易にはしてくれなかった。
心のどこかでは、計算上では「無理」だと決めていた。
でも、作らない訳にはいかない理由がいくつかあった。
それらのプレッシャーは、今回は以外にも力を発揮しなく
ただの作らなかった場合に産まれる「ひと山」にしか過ぎない
そう思えた事が、今回のBar The ICEの違いだろう。
では、何故「無理」と思っているのに「身体」を駆り立て、
「無理」と承知で作れたのか。
それは「何を無理と判断しているのか。」
それを「誰が、そう判断しているのか。」
全ては、「私」であり「私が経験して来た、私の歴史」でしかない事に気づいたからだ。
だとしたら、この判断は、有る意味で「正確」であり
有る意味で「無意味」な判断だと、ふと思えたからだ。
無理なのは、「今までのやり方」を通す事であり
「今までの考え方」を変えれれば「無理ではない」が「産まれるはずだ」
そう考えるきっかけ自体が、
今年の中に入っていたプレゼントだったようだ。
40歳になる友人は、18歳の息子と今は親友の様になっていた。
20代の前半、友人達が遊ぶ時に、子育て、離婚、と経験し
何も楽しい事が無かったと話す彼は、
同じ世代の友人達を見て、様々な感想が浮かぶようだ。
ニセコについて、その日のうちに僕の所に来て、その後の1週間を同じロッジで過ごす中、僕らは何を大事にしているのかを、互いに見る事になる。
そして、互いの家族の表情を毎日見る事で、自分の持ってるフィルターが消えてゆき
ゆっくりと、ちゃんと相手が見えてくる。
帰り際、友人が自分の大切にしているスノーボードの板を僕にくれた。
「ヒロのスタイルではないと思う、でも、一度この板に乗ってもらいたい。
そして感じて貰いたい。この板は趣味には合わないだろうが、素晴らしい板なんだ。
ヒロのイメージを変える為にも、この板を貰ってもらいたい。」
僕は友人に「時間」を貰った気がした。
楽しいをより演出する事に繋がる、このプレゼント。
それは「上質な時間」であり「生産する為の栄養」である「時間」を
彼が僕に贈ってくれた。
ありがとうRob!
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