2010年5月15日土曜日

1+1=別物

1+1=別物
菩提が朝から母に怒られていた。
「だっこだっこ」としがみつくのはしょっちゅうだが、
今日のはほんの少し違ってた。
表情が、わざとだった。

赤ちゃんの様に口元を尖らせ、困ったような目をしてねだってた。
母はそのワザトらしさに苛立って叱っていた。

そのまま菩提は外に行き、
一人僕に聞こえてるとも知らずに毒ずいていた。

僕は、何か昨日とは違う息子の感情を感じた。
地球が一日と云う距離を進んだ結果が、時間を特定している事を
垣間見たような気がした。
その事自体が、僕自身も「時間」と云う「距離」の中に居る事を理解した。


空間認識

ホットケーキを食べながら、妻が席を立った時に、
菩提に小声で、秘密の話をするよな空気感で話しかけた。
内容は
「菩提・・・・朝からグネグネしてるけど、ママは菩提をレストランに連れて行く予定にしているよ。」息子の反応は、「えっ?」正にこの表情。
朝から母親の感情を逆撫でした事を理解しているからこその「えっ?」だった。
「グネグネしても、ママは菩提が大好きだからじゃないの」
彼は突然目の前の大きなホットケーキにフォークを刺して食べだした。
さっきまでは自分で食べるつもりの無い顔をしていたのに。


彼の四角いお皿には、二枚重ねで4等分したホットケーキの2枚が載ってる。
僕の丸い皿には、ホットケーキが3枚、
妻は四角いお皿に3枚。合計8枚。

僕の丸いお皿には、3枚がシロップを平均してかけたいので並べて置いてあり
妻と菩提はまだ重なった状態で皿に載っていた。

「ヒロは3枚、菩提は2枚、ママは・・・・」
すかさず息子は
「菩提の3」
「大正解!」
ここまではいつもの数遊び。

「でも見て菩提、ヒロのは3枚だけど、ママのは3枚で出来た大きな1だよ。」
「・・・・・・・・・」ちょっとシナプスの移動が彼の脳内で起きてる時の状態。

自分の食べかけたホットケーキを指差して
「ヒロ、パソコンみたいな形をしている」
そこに有ったのは、小さな長方形の形になった
一辺が3センチ位の食べかけのホットケーキ。

近くに有ったティッシュの箱をひっくり返し
「これも似てる形かな?」
「これは長方形、四角だよ菩提。」
そして菩提のお皿を指して、
「菩提のお皿は、正方形。」
おひつの蓋を見せながら
「これはマル、円」
そんな事を数回繰り返すうちに

「角」と云うものが、有るか無いかどうも要素だと云う事を彼は感づいた。

天井を指して「四角!」と云うので
「これは『角』」似てるね」


角と云うものに「意味(この場合は時間の経過した、木造の家の)」を持たせて行くと、高さや平面と云う全てが「意味」で構築された空間に変わっていった。
だとすると、そこに集合する意味を見計らっていく事で「方向性を持った空間」が構築できる事になる。
まさに、当たり前の事実でしかないのだけれど、
僕には「1+1=2」と云う当たり前の方程式が思い出される。

当たり前と云うのは
「1+1=1」当たり前と当たり前は、足しても当たり前。
「1+1=2」も当たり前と当たり前があっても当たり前が二つ
そう言う喩えだと今までは理解していた。
「1」と云う「要素」では無く「個体としての要素」ではなく要素を作る「要因」
「1+1=2」と云う定義を今日は少し違う感覚で感じた
それは
「1+1=別物」
「1」ではなく「2」だから
「要素、要因の2たつ集合」が記号「2」だとしても
そこには体積や質量がある訳なので、
目を閉じた世界だとしてもそれは変わらない。
つまり、「2」は別の意味を発生させた「要素、要因の2たつ集合」と考えた訳だ
同じ質量、体積だとしても、客観視した価値観から言えば
当たり前が二つになった所で同じ事。」となるけれど、その体積重量が以上に大きい場合はちょっと違った結果になる。
大きな意味合いの大きな要素の集合体が二つ合わさると単純に「2」では有るが「云うなれば複雑な『2』」とも言える。
この場合は
「(様々な1)+(様々な1)=(様々な1と1で出来上がった2)」が正解かな
それとも
「(様々な1)+(様々な1)=(様々な2)」と表記するだけで良いのかな。

ここに狩猟民族の1人称世界感とも相容れ合う感覚な「狩猟民の数学」を感じた。


今までの数学や物質の定義よりも、
何かと僕は狩猟民族的な方向から数学等を解釈した方が理解できる

何とも面白い朝だった

私と妻から子
私とあなたからは・・・・何が生まれるのでしょう。

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