2012年11月21日水曜日

道具は身体の一部と言う事例




新しい僕の身体。
ここ数年毎年進化している。
誰にでも扱いやすい贈具達と云うよりは、
僕の身体と言う方が適切な気がする。
昨年のバルーンもそうだが
寒さや水温,その場所の風速等が
自分の身体の一部となって行くと
これらの道具が実に使いやすいものに感じて行く。
今まで以上に動きやすくなる為に。

2012年9月11日火曜日

内圧そして名前

黒澤明の「椿三十朗」の最後のシーンで、
切られた相手の血しぶきが、映画のシーンでは初めての「飛び散る血飛沫」だった。
これ以降、決闘やら戦いのシーには「血しぶき」が頻繁に登場してくる。


僕の身体を駆け巡るこの血液の、動脈にかかる内圧と静脈にかかる内圧
送り出し、そして吸い込まれる。
これが1サイクルで行きてる限り続く。

そして、この肉体はその爆発的なPowerを、まるで感じさせずに柔らかく肌で包んでいる。

小さな羽毛の様に柔らかな肉体の赤ん坊。
どこを触れても、そんな内圧なんか感じさせない。
切りどころが悪ければ,吹き出す血しぶき。
そんな猛烈なPowerなんか、抱き上げた時には
微塵も二の腕に伝えて来ないこの肉体。

パンパンに張りつめていてくれたなら、
僕らは何を感じるんだろう。

人を動かす「衝動」
そこには、とんでもない「内圧」が仕込まれてんだろうな。


5人目の娘よ今日は。
君の名前は,何がいいかな?

2012年8月9日木曜日

島の人

僕らは大きな空間で生きてます。
その端には海がそこまでも広がる場所が有り、
そして、その途中には空の雲にまでかかる様な山が有るんです。
過ぎ行くスピードを,どんどん遅くして行くと、
目には色々な物が入りだします。
そして、目が慣れだしたら、今度はそこに生きている動物や
植栽の違いまで見えて来るはずです。

自分の家の近所に有る,動物園に居てどこの山にでも居る生き物も
スピードの変化で,自分の目で見つけ出せる様になる時に、

ようやく僕らは当たり前の感覚を取り戻す事が出来るように感じます。


しかし、この大きな空間より,大きな空間がそこには有り、
それ故に血で血を洗う様な生き様も有るんです。

僕らはこの大きくて小さな空間を、
本当にちゃんと比較する事が出来た上で認識しているのでしょうか?

本当に、「我々は島国である故に」と云う枕詞の意味合いを、
しっかり他国との関係において分かっているのかな〜〜〜〜
と、今日思いましたね。


ロンドンオリンピック本当の中身って、どんな事の堆積なんだろう。




2012年7月23日月曜日

認識する

「今おこった事は、もう過去だ。」


朝っぱらから、こんな事を話しだして,嫁さんは「?」と云う顔をしていた。

昨夜夜中にふと考えだしたら,目が冴えてどんどん思考し続けて得たワードは
「僕ら自体は過去の中に居る」といっていいのが現実なのではないか?
という疑問。

実際は今と云う「未来」と「過去」との間の「質感」つまりは「間」と云う「膜」に居るのだが、その膜はスポンジの様に時間が素通りしていて、今と云うもの自体は
「もう過去」になっている存在の上にしか乗っていない。


過去に左右されて未来を決めるには、
あまりに判断するにややこしくなって来ている最近。
我々50年少々の経験値の個が、上手い事やれるはずが無い気がする。
それも、しっかりとしたガイドが居た訳でもなく、
適当な感傷的な表現の中に育った僕らが、現実と向き合った次世代への答えを出し続けるには、ちょっと役不足。




そう思うと、小さな時間と小さな環境だけで、多いに交わる生き方を選択した方が
役割を認識出来る感覚は研ぎすまされる様な気がした。

日本人は村サイズが良いのではないかね。



2012年6月25日月曜日

悩み育てる」の次はどんな世界か

1の次2。
2をどう生むか。生まれるか。

1の中には何が入れるか。

ほんの少しの「揺らぎ」からほんの少量の「うねり」が生まれるのではないだろうか。
質量の重なりが質量の均一化の中に違いが生まれるのではないだろうか。

それらが長い時間を経過した時に、
綿ゴミの様に引力や摩擦で何かが発生するのではないか。
割って行く事で、最初が何かに突き当たる。

そうなんだろうか。

実際は掴めないけど、けん論と云う手法で理解できる。

でも実は何も手の中に入れて経験出来るものは無い。


寄り集まった筋がより揺らめきと共に大きく太くなり
いずれその断面積故の裂けが生じる。

分離

その分離する質感の中に、何かが吸い込まれて行く。
液体がこの膜を通す事で内部に溜まり、
一つの核=母体が発生する。

2012年6月14日木曜日

王道で進む」と言葉で話すと分かりやすい

最近のテーマだな。
「王道」
自分に取っての「王道」であれば良い。
いずれこの件に関してアクションが起きる。
その時今まで自分が「何」を「王道」としていたのかを見る羽目になる。
そして、そこでまた「吾が王道」について再考する。
そして、「王道」=「摂理」とが等しくなったら。
まさに「王道」なのだからか、「我」の道を歩いている事になる。



歯医者に大学病院を選んだ。
美味い下手は相性ってのも有る。
だったら、素人が一生懸命にしてる方が納得いく。
良いやつだった。
素直な良いやつだった。
いい子だったんだろうな、そんな感じ。
土曜日遊びに来るように呼んだ。


病院の駐車場の止めたバイクの右側のバックミラーが盗られてた。
ほかは何でも無いから、「なんだろう?」と思った。
錆びた市販バイクの右側ミラーを盗る理由って?
右側は追い越しの際に必要。
でもいつも右も左も後ろまで見ちゃう。
だって怪我も死にたくもないから。

そいつには、そいつらしい人生が有って、
そう生きて行くんだな。と思えた。



ラーメン食べて、息子が一人前をぺろりと食べた。
診療中3時間も椅子に座っていた5歳。
十分素敵なやつだと思ったので、遠出してご飯を食べた。
途中博多の街に入ると何だか危険な空気が道からでてる。
注意して安全運転。
横を中型な日本車のバイクに乗った大学生の様なお兄ちゃんが抜かす。
その後をボックスカーのごついやつが、そのバイクの横につけ幅寄せを目の前でしてる。
「ここ、北九州か?」
なにげに話は分かるが立ち位置が違いすぎる。
全くもって品がない。
しゃしゃっとすり抜け信号でバイクの兄ちゃんの横に止まって、
「お兄ちゃん、落ち着きな。そのままじゃ事故に遭う。
オレも昨日それで捕まった。スピード違反で。
まずは落ち着きな」ニヤリ。


帰り道海の横の空き地に止まってた錆びたワゴン車とその周りが燃えて、
消防車とパトカーが居た。

海に二人で遊びに行った。
帰ってから、ふと今朝朝食の席での会話を思い出した。
ちょっとチャレンジをさせ過ぎて、チャレンジが楽しくなくなった昨今
ミカに話した。
「オレ楽しいお父さんじゃ最近なくなって、ボダイにごめんねって言ったんだ。」
この時から、以前の様に仲良しになった気がする。
だから、海から上がって僕のシャツを貸して、僕は海パン1枚でバイク。
シャワーを浴び、着替えてさっぱりした夕方、
外のベンチで二人ですわって、ちょっと大きめのさざなみの音を聞きながら
地球の話をした。
したい、ほしい、見たい、食べたい、という心の話もした。
どれだけ伝わっているかより、
そういう事を話し聴く事に意味が有ると思う。

2012年5月26日土曜日

形態を思いつく・・ってのは。

記憶というのは、単純な衝撃で生まれるものではないらしい。
友人で生物学を長い事やっていた友人と話していて、
そう教わった。

様々な要素、匂いや見え具合に、音に意味に、内容に・・・と
多様性が作る籠とでも言うようなものが出来上がらないと、
記憶にまでならないらしい。

そんな事無いよと思う事も、その話を聞いた時に思ったが、
よくよく思い出すと、やっぱり様々な要素が入っている事は、
その後、何かを記憶し、その後思い出した時に考査すると、
やっぱりかなりの多面性を持った籠をイメージできる。



その多面性の籠が、今度はもう一つの大きな籠を作る分子となって、
次の形態になる。
別段違和感無い順番だ。


しかし、ちょっと待て。

どこから、その要素が、刺激的なり感動的なりと言う「要素」としてこの吾が脳みそに取って「重要」とされて来たのか。
その最初の基準って「どこから」の選択なんだろう。
遺伝子?
かもね。

中国の諺を、その友人は最後に言ってた。
男は歳を取った成功者、女は若くて健康な体。
遺伝子はより磨かれたもの
母体は若くて健康。


形態のひらめきで、相互関係性の無い場所から同じようなものが
たまに生まれる事が有る。
僕も数回以上この経験が有る。
目撃した事も有る。
しかし、何も互いに知る由もないのに。

有るフィールドで、必然的に生まれて来たものは、
そのデザインの質においての違いは有っても
生まれた瞬間の要因には、
単純に思考や概念等の価値観の順番から生まれるからかもしれない。

2012年5月25日金曜日

脱皮できる?

違う視点から今のご時世を観てみたら。

さて、その前に、どんなご時世から観る事が出来るのか。

そんな事をふと思った。

政府の執行部から観てみたら。

外野から観てみたら。

政治に直結している産業の中心から観てみたら。


水に浮かぶ船の様。

雨風が無ければ筏でも「いける」と思うんだろうな。

又でかくなるにつけ、これって「陸地」と思えるようになるんだろうな。


戦後からの思想や方法論や社会観や、未来感。
多くの概念で出来た球体が生命の形になる為の最終段階に来てる感じのイメージ。
多くの無機質の集合体が、いかようにして有機体になったのか。

まるで、その瞬間を目撃してるような感じ。


「戦後」という要素以外にも多くの未解決な問題が、この連鎖の鍵となっている気がする。

縄文文化から弥生に入ってからの「何か」が無機質な波で終わらせるか。

風でそよぐ前髪にするのか。

より静かに向き合う必要が有る気がする。

2012年5月22日火曜日

私の心がポスターになる。セット。

一人一人の生まれてからの記憶より、記録の方が面白い。

過去を振り返って、「あんな事・・・・有ったよなぁ〜。」とか
「あの人・・・げんきにしてるかなぁ・・・。」とか思い出しても、
実ははっきりとをしたビジュアルは、脳の中の記憶容量から言って
かなりのビット数の集積体で、脳科学から言っても、
鮮明にはよみがえらないらしい。

だから、その当時の写真と偶然再会して思うのは、
ちょっと歪んだ感覚。
しっかり記憶していると「思って」居たものが、
ちょっとだけ違った彩色だったり、細かなフォルムは単純化されていた感覚。
しっかり持っている「つもり」な「記憶」じゃなくて、
時間が生んだ「記録」を「ドサッ」て、まき散らかして、
「眺めている」と、なんだか素敵な物語の空気が生まれるのは
ランダムな記憶を思い起こす「行為」と一緒。

まずは、僕の作った物語から感じてください。

そして、いつか多くの物語で展示会しましょうよ。

「私」という「物語」をいっぱい乗せてるのが、
この地球というステージだと思うんです。


「感謝」という言葉では短過ぎ。「恩返し」では聞こえが悪い。

昨日は金冠日食が朝有ったらしい。
そんな良い日の夜中の10分に、姪に電話をしてしまった。

衝動ってやつなんだろうかね????
電話をし終えて、ふと思った。
「オレ、どうして電話したんだろう。」って。
正確には
「どうして、そんな事を僕は出来たんだろう。
夜中に、数年に一度くらいしか合わない姪に。」




先々日、色々と仕掛けたイベントの日だった。
いや〜〜〜〜ヨカッッタ〜〜〜〜。
ヒッピーに観られがちだけど、僕はヒッピーではない。
赤でもなく右でも左でもない。
そんな僕ららしいイベントに3年目で変化した。

その会場を作っていた、前の日の帰り。
僕は店から道までの私有地の坂の、両脇を固める芝生の丘を原チャリでメイクしてしまったのだった。
ガタンと道に戻った瞬間。
「オレ、どうしてチャリで、あんな無謀と足がすくんだ事ぉ???選べたんだろう。」と
そう思った。
この、「そう思った」場所がこの時、「体」に感じた。
これは完全に、今年の冬の仕業だ。
僕の体に何かを仕込んでいた結果、
僕はこんな事をしていた。

そう、ガタンと道に戻った瞬間。
ずっしりとした緊張感が足に生まれだしたけど、
脳がもう終わってると宥めるかのような信号を出していたのを感じて
僕は正直驚いた。



最近何を作ってもタケナカらしいと言われる。
「オレをどうやったら、そう見えるんだろう。」と最近真剣に思う。と
まず話し、


「僕ら形を作り上げる人間は、
皆さんが観ている大きさにする以前にぃ、
その、大きさが作る形にする為の小さな形を模索し、
その責任を自覚しながら、コツコツ積み上げて
皆さんが観ている形が出来上がるんです。」

「例えば晴れた日に、人生のとある素敵な記憶を、どんなカーブに座れたら、
変える事は可能かどうか、を作る事が出来るのか」を
大の大人が真剣に丸く削った木のコブ撫ぜながら考えるんですよ。

という事を、売る人は知ってるかな?
形有る物に、しっかり触れて、どんな人生の話に参加する事なのかを手助けする事が、
セールスマンの仕事だと僕は思う」と夜中に電話した。

これを、どれだけ真剣なのかを話している時。
「オレ、まじめにこんな事言ってる。」と思った。
正確には
「マジだオレって。作家だな、オレにもこいつは分からん。」と思ってる自分が居た。


2012年4月18日水曜日

長いものにはまかれろ。だったのに。

京都で紙の作品を発表したい。
そう考えたのは、紙を使った作品を作り出したときからだった。
つまりは12年前だ。

色々な出会いが会って、それなりの若旦那さんが後ろにつく事になった。

でも、今もって現実化していない作品発表。


なんだか、いやなんだよね。
この流れが。
ニューヨークに行ったのは2002年で、
その時にもギャラリーで作品を発表できるきっかけをもらった。
でも、なんだか嫌だった。

なんだか、変にへそ曲がりな僕は、
いつからこんなにこだわってるんだろう。
そもそも、自分から近づいているはずなのにね。

変なオレ。

思考上に作り出すスパイラル

こうすれば、(「成功」「させる」「事」)「が」「出来る」


失敗は「したく」「無い」「な」


同一平面上に並べられたワードをたどって行く微弱な信号。

脳のマトリックスを流れる弱電の稲妻。

様々な臓器やそれらと連携を取る各種のパーツ。

この連動に、もう一つ「己(方向性を持たせようと思う遺伝子要素)」反応を入れるとしたら
そのような場所(と、ある所と仮定し)の、どのような事柄(プロセス的な時間を含む要素を入れる事は可能なのか)に、自己の何を動かせばよいのか。
自己のすべての意識は、この体内に内蔵された反応の連鎖。
恐怖は体を硬直させ。喜びは頬の肉をいあおう無く引き上げ、心拍数を加速させる。

なにゆえだ。



何がそうさせてるんだ。


親父が言ってたな〜〜〜
「ゴーギャンはタヒチで「ノアノア」という作品を作って、この命題に行き着くんだよ」
思い出すゴーギャンの「ノアノア」不思議な絵だったなぁ〜〜〜
バックに突然変に不安定ななじみきらない色でトカゲが描かれていたり・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・
なるほど。

ようやくその意味が分かった。

その通りだ。

陰の存在。

奥行きという側面

オブジェとオブジェが同時に存在する時に、そこに生まれる「間合い」と云う「空間」

ものは、これら空間に3次元で存在する事で物語性を「産む」



2次元の時点で、既に含まれていた進化の方向性。

つまりは2次元が生まれる事も、次次元に進むのも、すべては法則性に起因する事なのかもしれないが、その次は、多くの要素を含まないと見えないように隠された要素であろう。

2012年4月15日日曜日

見栄え(みばえ)

飽きて来た。

巷の噂に飽きて来た。
現実感も、創造性も革新性も、どれもこれも見栄えがしない。

創造性の低い会話も、現実の見方も、それによって作ろうと思う可視化された世界も
どれもこれも今と変わらない。


退屈。

という事でネット鎖国状態になって行く自分。


外で今日は雪解けの早さに驚いた。
毎日土が出てくるエリアの拡大に、大気汚染のスピードを連想させた。
そういえば、最近は工場その他の大気汚染が、放射能汚染で消えてるな。

耳は5デシベルの差で小さい方をシャットアウトするらしい。
より危険な方を優先するシステムに人体はなっている。
そうらしい。

大気汚染ってアトピーの原因だったりしたよね。
アトピーよりガンだし白血病の方が強いから、大気汚染より放射能。
日本だけじゃなく、中国も、ヨーロッパも、どこもかしこも・・・

それ以外は地震に、津波に、ハリケーン。

さてさて、人類はどこを歩んで行くのかね。


全く見栄えがしない。

2012年4月10日火曜日

クマがいるよね

背中に子供をおぶったクマが、
ハアハアいいながら走ってる。


塒の地下部屋に2011年の終わりから、次の年の4月まで居た時に、そのキッチンから観た窓の外に、大量に積もった雪の層が、時間の経過で産まれて来た環境に集積に、雪が乗る時、不思議な瞬間を画像を作り出す事が有る。雪が積もる事で今までとは違ったラインが産まれだし、立体だけのエッジに、繋がり有る「位置」を手助けするだけで、全く想像にしていなかった絵柄を作り出す。

「これは、一体何なんだ?」

「一体、どうゆう方程式なんだ?」

不思議だが、なにげに理解した。



南極の氷が大量に溶けだしている。
それらの中に貯めておいたメディスンを、彼らは放出させだした。
それも、数年前に、数十年を掛けて、いつの時点でもカードを執っておきながら。
我々は最初から手の内ですよ。
彼らの懐で過ごす赤子も同じ。
それはまるで子鹿達と遊ぶメルヘンの世界のようなもの。

今からこそ、真摯さが必要とされている気がする。

あなたにとっての、真摯とはなんでしょう。

私にとっての「真摯」とは、
感謝をいかようにも表す事の出来る生き物であるという事を探す事。

2012年3月31日土曜日

「少し不思議」をどう「認知」出来るか














「言われて気ずく。」じゃ終わってる。

「1言えば、
10わかる。」
この言葉を10代の時に父親にやかましく言われた。
僕に足りなかった事と、進んでほしい思いや苛立から言われていたんだろう。




しかし、今となったらすばらしい指南だったと思う。

一つでは語弊が生まれる時代かもしれない。
雑になって、よりガイドが必要になったのかもしれない。
そのガイドで贅沢できるようになって、
そう仕込んでしまったのかもしれない。


私たちは、自分たちの将来を貪っている気がする。
とりあえず僕はイチヌケです。


小さな美しさは宇宙の躍動を感じさせてくれる媒体。
或る時は「目」に移る「映画」
或る時は「耳」に響く「音楽やリズム」
舌も口もヒゲも髪の毛の根元と先、それに長さだって、
心振るわす大事な媒体。

子供と話す時、いつも僕はその瞳の中に映る自分を観ています。
ナルシストにではなく、僕が知ってる事をこの瞳に移せてるかどうかを観る為です。

この丸い生き物「地球」に、多くの様々な花が咲くように。

2012年3月28日水曜日

意識を形態にするに必要な事

何が美しいのか。

この漠然とした、抽象な質問に、どう答える事が出来るか。


何が美しい のかな。
自分自身に聞いてみて、ふと思う。
「どこに聞く相手が存在しているのか、この自分の中の、何に聞けばいい。」

僕は今まで、自分の記憶と会話していたのか・・・

脳の中の基準点が、不安定になるときに
「狂うかもしれない」恐怖というものを感じた。
が、もう進まないと答えが見つからない。


だから、ゆっくりと、気を確かに持ちながら、
これは「自分の意志で進んでいる」事を認識しながら。



2012年3月24日土曜日

面白い。




この冬、人生で一番スノーボードにはまった。

いや、雪遊びに新しいアイテムができて、大喜びだった。

一瞬、前者だったが、書いていて後者。

より「繊細に観よう」と努力しながら、この冬は過ごす事ができた。



「感」という表現で言われているものに近いし、
そうなのかもしれない。


パウダースノー用に 
sori 「日和」 を作った。
もったいないけど使わなくなったスノーボードの再利用。
実験で2台作った。
1台はシートが長くて板が縦に割れてるスタイルと
シートが短く、板はそのままのスピーディーな1台。

ソリにつきものの「紐」は無い。
ライダーはソリのシート下に凹みがあるのを利用して体重移動させカーブする。
もう少し改良して、今月末実験をしにニセコに行きたい。

氷の作品は、又何かを仕組んでくれているようだ。


このボード、弟子のだった事を知ってはいたものの、
メジャーなシールがこれ見よがしに貼っていて、
そんなに高価なものが買えるとは思いもよらず、
戸惑いも無く切って削ってネジ打ってから、
「・・・・言うの忘れてた・・・」

電話の向こうで、いいですよとは言うものの
「あれ、高かったですもんねぇ〜〜〜〜〜」って
「えっ」
マジものだった。
彼が物作りになる前の、サラリーマン時代に買ったものらしい。

やったね〜〜〜切っちゃったよ〜〜〜それも3分割!

「ちゃんと俺に渡すときに伝えろよ!」と逆に切れちゃった程、
今年のニセコの雪にやられた。
このボードであの雪を味わってみたかった!

そんなライダー用に作ったモノです。



その後二人共通の友人の話になり、その人が明日から東京へ行く事を聞く。

実は僕も、明日から東京1泊2日の結婚式。

すぐ電話したら、又面白い事に・・・・・・

話はどんどん続くんですけど、
めんどくさいからやめます。



「味わいなさい」これが最近よく心の中で響き渡る。

2012年3月4日日曜日

記憶の話

ある日、いつもと同じ様にBar The ICEをオープンさせていたら、
若い人達が5人くらい入って来て、えらく感動していった。
その後に次から次に人が来て、その日もなんとか無事終了。
と思いきや、出口付近で太い氷を折る時に生まれる音がした。
「折り過ぎ注意!」と声をかけ、そのまま運営。

同じ音を聞いていたほかのお客さんが肩をすくめる。
どうして、「壊す」が楽しいのかと言う表情。
「でも、折ってる彼らの顔は、ニコニコしてるんです。」
つまりは「悪意」ではない。

玄関のドアを裏返して終了。


入り口から又中に折り返していくと、通路の影に太いツララが植えてあった。
天井と床との繋の形で置いてある。
その横に盗られた思ったロウソクが並べてあった。
その横に雪を指でなぞって
「Thank's Hiro」
憎しみを持たずにすんで良かった。

嬉しいひとときだった。

2012年2月25日土曜日

記憶の話 友達から家族へ

昨年友人になった人が、今年は18になる息子とニセコにやって来た。


ビレッジの方が一段落して、同時進行で2カ所目のヒラフを作り出したとき、
正直なところ「疲れ」が身体全体を包んでいた。
様々な条件が創作する事、製作する事、想像する事を容易にはしてくれなかった。

心のどこかでは、計算上では「無理」だと決めていた。
でも、作らない訳にはいかない理由がいくつかあった。
それらのプレッシャーは、今回は以外にも力を発揮しなく
ただの作らなかった場合に産まれる「ひと山」にしか過ぎない
そう思えた事が、今回のBar The ICEの違いだろう。

では、何故「無理」と思っているのに「身体」を駆り立て、
「無理」と承知で作れたのか。

それは「何を無理と判断しているのか。」
それを「誰が、そう判断しているのか。」

全ては、「私」であり「私が経験して来た、私の歴史」でしかない事に気づいたからだ。


だとしたら、この判断は、有る意味で「正確」であり
有る意味で「無意味」な判断だと、ふと思えたからだ。

無理なのは、「今までのやり方」を通す事であり
「今までの考え方」を変えれれば「無理ではない」が「産まれるはずだ」

そう考えるきっかけ自体が、
今年の中に入っていたプレゼントだったようだ。


40歳になる友人は、18歳の息子と今は親友の様になっていた。
20代の前半、友人達が遊ぶ時に、子育て、離婚、と経験し
何も楽しい事が無かったと話す彼は、
同じ世代の友人達を見て、様々な感想が浮かぶようだ。

ニセコについて、その日のうちに僕の所に来て、その後の1週間を同じロッジで過ごす中、僕らは何を大事にしているのかを、互いに見る事になる。
そして、互いの家族の表情を毎日見る事で、自分の持ってるフィルターが消えてゆき
ゆっくりと、ちゃんと相手が見えてくる。
帰り際、友人が自分の大切にしているスノーボードの板を僕にくれた。
「ヒロのスタイルではないと思う、でも、一度この板に乗ってもらいたい。
そして感じて貰いたい。この板は趣味には合わないだろうが、素晴らしい板なんだ。
ヒロのイメージを変える為にも、この板を貰ってもらいたい。」

僕は友人に「時間」を貰った気がした。

楽しいをより演出する事に繋がる、このプレゼント。
それは「上質な時間」であり「生産する為の栄養」である「時間」を
彼が僕に贈ってくれた。

ありがとうRob!

2012年1月29日日曜日

サービスの違い

昨夜は焼き肉を食べた。
15人くらいで4テーブルに別れて食べた。
お客が居ないから離れてるテーブルを一つにしたいと頼んだら
セットを動かさないといけないし、と断られた。

されは業務だし作業であって、サービスではない。

リゾートのサービスと業務サービスとの違い。
プロ意識とも呼ばれる領域。

同じものをどこから見てるかで、おのずとその人の未来は変わる。

今の自分に起きる事は、その人が作って来た今なんだろうな。

僕はとっても幸せです。

2012年1月27日金曜日

面白い、流れが見える。

今日いきなり九州の友人から、父親の写真をネットで見つけたとメッセージが届く。

僕の家にはこの写真が必ず何故か玄関に有る。
ここがまずいつもふと思う所だ。
母も、お案じ考えなんだな、もしくは
同じ感覚なんだ。」と思ってる例の写真だ。

今日はヒラフのBar The ICEのオープンデー。
宣伝をせず。
突然前からやっていたかの様に、ドアを開け。
またきたよ〜がどんどん続く。

今日からなんだよ」と話した時の彼らの何とも言えない表情。
これが楽しみなんです。
この味わいを知ってしまったら、
又創りたくなっちゃうんです。

今年は短いので口コミ宣伝皆さんよろしく。
8じから10時頃までの2時間です。

今年も良い!
最高だ!

2012年1月26日木曜日

記録の無い記憶

最近になって写真が手元にいつも残る時代になったけど、
そんなのはつい最近の話。
写真で撮れるのは残像。
そこでの物語は、決して残せるものではない。

雪の中に潜り込んで、毎日毎日頭がボ〜〜〜ッとするほど身体を動かしていると
見つけた事が無い様な形達と遭遇する。

「今までどうして気づいてあげれなかったんだろう」
昨日見つけたツララに付いてた霜の形は、
今まで見ていた世界から、もっと繊細な世界を僕に感じさせてくれた。
南方熊楠が菌糸の世界に、生命の起源を見つけたのと同じ様に
繊細さのフィールドは、どうも時間軸がクロスしている様な気がした。

ややこしい話なので、これもかくのを戸惑う。

これも、記録の無い記憶の一つにしておこう。

カメラが無いってのもなかなかオツなもんだ。