帚『ほうき』今日イギリスの会社ダイソンの掃除機が来た。
イギリス人好みなサンダーバードの様なデザイン。
オーソドックスさと斬新さ、それにポップでスタイリッシュで・・・英国臭い。
ここまでプラステックで出来ていて、エコを感じさせる力。
デザインと仕事ぶり、それに宣伝で出来てる物体なのに・・・
何故か好きなんだよね。
安っぽいプラスティック感が何とも昭和な匂いがして、大好きなんです。
そのブラシについていた馬毛モドキなプラスティックで出来たブラシの堅さやつややかさが僕にはいつも「?」でしたが、なんだか理解出来ないセンスが好きでした。
さて、その帚のブラシにライトが当たり、綺麗なラインナップで踊るハワイアンの女の子様な柄がブラシの束の数分浮き上がったのです。
一列に並んだ小さな光の玉が、
上へ上へとブラシの曲がりを利用した所作で上下するのを見ていて、
ふと炎の強弱に非常に似た形態なような気がした。
もし、木の寿命100年位をカメラで追いかけていたとして、
それを2秒位で見る事が出来たら、地面に生えだした新芽が、あっと言う間に森の巨木へなる為の100年の様に見えるだろうな。と思った。
しかし、その映像をこの1本を「追いかける」にしなくとも、
この森中を数秒の絵で見れたら、
多分それは「緑の炎で緑が焼けてるんだ」と、とても素直に感じれるはず。
時間を入れて観ると言う事の意味は、
「人」に繊細さを教える事になる。
人は固定式カメラの100年で見たらどんなだろう?
広角レンズで一点に焦点が合ってるのと、全部に焦点が合っているのでは?
何が違うんだろう。
人は何を行動から産み出すのか。
ゴミとか無駄とかのレッテルを「生産」と云う事に変えて、
今一度、この100年間を、数秒で見たら、
多分様々な生命を誕生させて来たと思うんですよ。
危機とか恐怖と言われ、認識されてる事柄も、
同じ「生産」と言う事に変えて会話に出せたら。
人間、人類はマサにいきてる事が芸術を作っていると思えるんです。
俯瞰で見る道や町並みはまるで絵と同じ
都会のビル郡は「とげ」の様なファンクなベルト?
ガウディーの作った建物は美しいネックレス
戦争で流されてる血の色は、欲望の唇。
白一色の純真さは・・・・・・僕の仕事を、僕はこうとらえているんです。
こんな発想がいつも僕の中に自然発生してるんですよね。
だから、僕は芸術家だと思いますね。