2010年12月10日金曜日

はじまりはじまり

今日恒例になったセレモニーを執り行った。

何日に北海道に入ったのか。
ニセコに何日から作業を開始したのか。
覚えていない。

でも昨日から粉雪が降り出し、今日は久々に大きな結晶が降り出した。
だから、作業も、順序もちょうど良かった。

丁度いい様にやっているから、丁度いいんだろうな。


水を分配する為の装置も、もう15年位使ってる。
毎回どこかかしら壊れていて、その度にメンテナンスをするが
錆び付いてる金物は、なかなか廻ってくれないが、
そんな時に友人達が目の前を通り過ぎ、
手伝ってくれる。

この感覚が今年のBar The ICEだと思う。

2010年10月12日火曜日

kトラフィーバー終了

色々な情報はみんな知ってる。
筏も時計も、野菜も米も。
でも、作れる?

時計に触れる事も、車を運転する事も出来る。
でも、自分で操作方法をゼロから考えられる?

僕らはいまこの「間」に居る事を自覚しているのかな?

そんな事感じて貰いたい。

星空も、海も、風も、暗がりの中、晴れの中で感じ方が違う。


感じ方が違う・・・・・・・ってどう云う事だと思う?


同じものに厚みをつける。


道に絵を描く事も駄目になり、歩道と車道がくっきりと分かれだし、
整理整頓されだして、何かがつまらなくなって来た。


てな具合で仕込んだイベントは、思惑通りの答えにまでたどり着き
僕らは満足。

昨日夜空を見上げながら、裏道に焼き台広げて、寒い寒いと言いながら
タオルでほっかむりしながら焼酎飲んでるオヤジ達になり、
楽しかった話をさせて頂きました。
ほんと皆さん、僕らの思いに付いて来て頂き感謝してます。

知識だけじゃないですよ。
思いだけでもまずいしね。

「軽やかに、しなやかに、したたかに。」
25年前に私の師匠から頂いた言葉です。




さて、引っ越しです。
そして、奥さんのイベントです。
で、北海道北上、BAR THE ICEオープンです。
今年のICEはキラメキが違いますよ。

2010年9月7日火曜日

プラスティックの「ほうき」の艶をみていて

帚『ほうき』今日イギリスの会社ダイソンの掃除機が来た。
イギリス人好みなサンダーバードの様なデザイン。
オーソドックスさと斬新さ、それにポップでスタイリッシュで・・・英国臭い。

ここまでプラステックで出来ていて、エコを感じさせる力。
デザインと仕事ぶり、それに宣伝で出来てる物体なのに・・・
何故か好きなんだよね。
安っぽいプラスティック感が何とも昭和な匂いがして、大好きなんです。
そのブラシについていた馬毛モドキなプラスティックで出来たブラシの堅さやつややかさが僕にはいつも「?」でしたが、なんだか理解出来ないセンスが好きでした。



さて、その帚のブラシにライトが当たり、綺麗なラインナップで踊るハワイアンの女の子様な柄がブラシの束の数分浮き上がったのです。
一列に並んだ小さな光の玉が、
上へ上へとブラシの曲がりを利用した所作で上下するのを見ていて、
ふと炎の強弱に非常に似た形態なような気がした。

もし、木の寿命100年位をカメラで追いかけていたとして、
それを2秒位で見る事が出来たら、地面に生えだした新芽が、あっと言う間に森の巨木へなる為の100年の様に見えるだろうな。と思った。
しかし、その映像をこの1本を「追いかける」にしなくとも、
この森中を数秒の絵で見れたら、
多分それは「緑の炎で緑が焼けてるんだ」と、とても素直に感じれるはず。

時間を入れて観ると言う事の意味は、
「人」に繊細さを教える事になる。

人は固定式カメラの100年で見たらどんなだろう?
広角レンズで一点に焦点が合ってるのと、全部に焦点が合っているのでは?
何が違うんだろう。

人は何を行動から産み出すのか。
ゴミとか無駄とかのレッテルを「生産」と云う事に変えて、
今一度、この100年間を、数秒で見たら、
多分様々な生命を誕生させて来たと思うんですよ。
危機とか恐怖と言われ、認識されてる事柄も、
同じ「生産」と言う事に変えて会話に出せたら。

人間、人類はマサにいきてる事が芸術を作っていると思えるんです。
俯瞰で見る道や町並みはまるで絵と同じ
都会のビル郡は「とげ」の様なファンクなベルト?
ガウディーの作った建物は美しいネックレス
戦争で流されてる血の色は、欲望の唇。
白一色の純真さは・・・・・・僕の仕事を、僕はこうとらえているんです。







こんな発想がいつも僕の中に自然発生してるんですよね。
だから、僕は芸術家だと思いますね。

2010年9月2日木曜日

生命の移行

凄かったね、
海岸で打ち上げられたタコを発見した。


スワ食料!

駆け寄るタケナカ家が目撃したのは
出産をしてる最中のタコだった。


波打ち際に張られた煙幕
何かがたまってる感じで、近寄れない直径2m範囲に、背の低いボダイは入ってしまった。
見えなかったのだろう。

その中にはなんと子供の頭ほどの同体のタコが居たのでした。

そして、そのタコは元気に水を口からピュっと飛ばしたりと、タコ独特なあの動きで実に旨そうだった。
しかし、なんでこんな事になったのかな〜〜と覗いたら
お腹にムリムリと卵の固まりをだっこしていた。

そして、その卵を話したとたんに
このタコの肉と皮が剥がれだし
まるで脱皮のようだった。
あのオーガンジーな虹色の膜。
それもタコの茶色。
それがどんどん伸びて、まるで機織り機から出てくる製品のようだったね
そして皮が剥がれ落ちたら、死んでいる。
あの膜と母体との関係が意味深だったな。
膜生命が母体生命と遊離して行く感じ。
そして、産み落とした卵は膜生命にくるまれ海の中へ。
魚に食べられない様に。
母性は生んだ後母体生命から膜へ移行し、卵を包み込んでいた。
命が移行している感じ
僕らが知ってるタコ。
でも彼らの生命が選択した生き方を、
僕らは無いにも知らない。

2010年8月26日木曜日

2%だけ開いてる

これをどうビジュアル化出来る?

「2%だけ、開いています。」



光はそこから漏れてるはずだ。

海岸は砂浜と岩礁で出来ている


海岸の岩場がもまれ小石が生まれ、それに川からの土砂で海岸は出来上がっております。

この二つがもたらす効果が、近年になって明瞭化されてきました。

一つはヘドロの発生は、海底の潮の満ち引きが弱まったせいで起きている事。
これは防波堤の設置から生まれて来た物らしいです。

では、100年前の砂浜に東京湾を帰す事が出来たなら
東京湾のヘドロが無くなるかと言えば・・・その通りだそうです。
しかし、
全部を砂浜に変えると、船の出入りが止まり経済が止まる。


海は砂浜と岩礁で出来ている。


数千のセンサーロボットは、防波堤の上を動き回り、波の溜まりを発信し
祖互いに影響し合って一番渦を作る所に寄り集まります。
そしてそこに岩礁を作る形がコンピューターのシュミレーション上に浮かぶのに数年。
それを交互に繰り返すうちに、東京湾に自己浄化をする防波堤ラインが生まれるのです。
船が優雅に入り、ヘドロと言われてる養分が外海に出るに従い
敦賀や熱海等々に豊かな海藻やサンゴ礁が生まれてくる。

新しい倫理観

2010年8月24日22:28

海底の中をゆったりと移動しながらゆっくりと回転しながら撹拌して行くクラゲの様な装置





昨年だったと思う。海に行ってぼーっと夕陽を眺めていると、どこからと言う訳でもなく低音の「ヴォ〜〜〜〜」と云う振動音の様な物が聞こえた。
海の前を走る道に平行して建ってる電柱に繋がれてる電線。
この電線が風でうなってる音だった。

北海道の電線には雪を切る為の円盤が、この電線に取り付けられて居る。

ここは九州、面白い物だ・・・・・閃いた。


世界中の海底に埋設されているケーブルに、振動する共鳴体を取り付ける事が出来るなら、深層にとどまる物を撹拌出来るのではないか。



それを若き科学者に持ちかけた返事が









今のところ、温暖化で海洋、特に外洋の深層で何が問題かと言うと
水温の上昇で海洋が成層化、つまり上下混合が弱まっていることが分かってきています。
そのために、表層に住む微生物の栄養供給が弱まってそれがまたさらに成層化を加速する。
しかもその影響が最も大きいと言われているのが、深層水を作っている海洋循環でも鍵となる海域だというところまで分かっています。

これを北大西洋グリーンランド沖、南極海、太平洋亜寒帯域の鍵となるポイントにこの装置を設置することはとても面白いと思います。






との事だ。


大切なのは倫理だ

人類の為を考えてする事への倫理と
人類が居なくなった後の遺跡に託した仕事。
つまりは「出来るだけ早くに生物の多様化に貢献する事」も
今からの人類の倫理じゃないのかな

2010年8月24日火曜日

ふと思う

定数で割り切れない実験結果がよく有るらしい。
化学式では「e」を使う。「a/b」でも割り切れない「1でも2でも割り切れない」


ふと思う。
「特殊相対性理論」の「特殊」を付けてる所にポイントが有る。

この地球上の常識は、この地球上だけの物・・・・って事を皆は理解している?

小さく云えば、北海道の常識は北海道の常識。

日本の常識は日本の常識。




あなたの常識は、あなたの常識。



常識って何。

2010年8月17日火曜日

時代とは何が創るものなのか

人間が「時代」を作っている様な気がするが
それとは別に環境(天候、気温、水温等々)が
その枠として作用してる様な気がする。

その中での人の反応を半俯瞰、もしくは半客観程度で見て判断した様なものが
時代感の様に見える。

なぜ「半」を付けるかと云うと、
実際摂理等々の方程式が我々には理解出来ていないから。



ただ、どう考えても、
常に全てにおいて「より最高の」を求められている様に感じる。
「何」に・・・・・
全てにおいて。

それをクリアーしたものが、次なる「より最高」を求める環境に行ける。

それって、過酷な道の様にも見える。
その通りだと最近思う。
がしかし、
そこにとどまるは易しだが、どうにも満足がえられなくなる環境でも有る。
これは遺伝子に組み込まれたものだろう。
「より良い環境へ」と云う因子だ。
だから、居ていいけど居づらい。
そして、この因子のおかげで、次なる環境が来る事に快楽が有る。
が、それも満喫もしくはそのスペース一杯に自己が広がると・・・・

さて、
どこまでも続くであろうこの進行にはある方向性が含まれてる
その方向性は個人的な違いが有るが、
大きく俯瞰すれば「人間性」と云う幅ではほぼ同じ方向性を持っている。
まれに、人間としての肉体を使い楽しんでいる人々が居るが、
この人達はそう言う意味では次の「方向性因子」を自己管理出来ている状態
そう言えるのかもしれない。



言いたいのは、そのまま進行する事は、永遠の更新の行進。
つまりメビウスの輪
もしこの自己管理下に「方向性因子」を入れる事が出来たなら、
多分「時代」と言われている大きな流れに対して、違った感覚を持つ事も
参加する事も、休む事も出来る様な気がする。


「より最高なもの」と云う因子を捨てる事無く
そのスパイラルとでも言う様なスピード感を制御出来るなら、
それはスパイラルと言うような表現からはなれられる。



2010年8月7日土曜日

日本人として

































海岸に流れ着く漂着物

これを集めて海へのゲートを作ったり、素材の2次利用が出来たらいいな。
そんでもってその行為自体が素敵だったら・・・・もっともっと素敵な事が産まれるはず。

そうです、これはアートイベントなんですよ。
環境やパフォーマンスやら色々と分かれているモノが一体化してる。
この機械を作る事の意味は、日本人としての「美徳」をどう人々に思い出してもらえるかと云う事が基本にあるパフォーマンスなんです。

人がどうして海へ行くのか。
どうして自然が必要なのか。
機械はどうして必要なのか。
アートは人とどう交わるのか。
BAR THE ICEがなぜ産まれたのか。


農機具なんか、日中の日にしか使わない。
あれこそソーラで動いたら良いですよね。

これらはソーラが基本です。

日本の機械好きロボット好きな性格と、伝統的な文化がミックスした環境。
こんなのが海岸をテコテコ動いてたら、かなりイケテルと思いませんか?








2010年7月28日水曜日

木で作ったこんな家具

木目が綺麗に出てるこんな椅子。
木のしなやかさをちゃんと知ってる職人にしか作れない椅子。
使う木の見立てが出来る職人にしか作れない椅子。

「日本製」のラベルが「・・・でしょうね。」な椅子。

薄い漆で透けて木目な感じ。


















2010年7月14日水曜日

加速装置

思い切りやってみたい事をしてみる。
やり残した事を、時間が経ってもやってみる。
ヤリズライコトを、諦めて正面から向き合ってみる。
楽しい事を終わらせない。

それらから生まれた事柄は
時間が経ったら「素敵な思いで」になっている。

多分だけど、
死への本当の瞬間
あちら側に行くことを躊躇させない加速装置にこれらがなる気がする。

行く時に「ビビって」しまったら、
かえった所で苦しいものを見なくては行けないしね。
多分かえる所も無く(身体ね)魂は迷える子羊状態。

2010年7月10日土曜日

星の光の影響力

宇宙線の発生源を解明か(ナショナルジオグラフィックス記事

Victoria Jaggard

November 4, 2009
宇宙では星の爆発が超強力な粒子加速器のような働きをして、いわゆる“宇宙線”を発生させていることが新たな研究で判明した。

 宇宙線は高エネルギーの素粒子であり、地球に絶えず衝突している。最も強力な粒子は時速157キロの速球と同じぐらいの威力で衝突することもある。宇宙線は銀河の遠く離れた場所から来ることがわかっているが、惑星や恒星のような大きな天体の磁場の影響で粒子の飛行進路が曲がってしまうため、正確な発生源の特定が難しい。



今年のニセコで感じだ「星明かりの人体への影響」ってのがあった。
今年最大の興奮を僕に与えたひらめきだった。
星の明かりは太陽の明かりとは明確に違って、
その光量の少なさから、人体に対しての影響力を考えてる人が居ない様だ。
しかし、その光は数億年から数十億年かけて届いた光の照射であり。
僕らからは小さな「星」としてしか感知していないが
実際はこの地球に直角に照らしてる光の膜である。
雲が時たま遮る事が有ってもだ。

星座占いが有る。

どうして、どこから、星の力の関係性ってものが「有る」事に気づいたのかが
僕の興味をそそる。

2010年7月4日日曜日

マカオプロジェクト Smile Earth Project

マカオすごい所でしたね。
熱帯雨林って言うんでしょうか、何せ蒸し暑い。
でも、花が少ないんですよ。
時期的な事だったのかもしれないんですが、
だからこんな事をしてきました。

数年経って、この一本の木が不思議な気になる事を祈って。

2010年7月3日土曜日

子育てと暗黒物質

大人になって、結婚して、家を建てて、子育てしていくと

子供の時の目線から、

両親の目線に立てて、

ようやく外から見た「もう一つの世界」を感じれるよね。

人類の科学が有る程度の成長を遂げ、
ようやくこの宇宙の外側に「無の空間」がある事を「圏論」と云う手法を
使って仮定し、検出するに至ったそうです。
僕ら人類も、ようやく大人になって、
「私世界」は多くの人々や環境が整っている事で
成り立つ事を理解しだす。

暗黒物質「ダークマター」は理解出来なかった大人の世界。
正義も道理も実は無い暗黒な世界。
でも、それが子育てを通して僕らに入って来て心が出来上がる。

どんな形にでもなるそのまま「広がり続ける」一つの宇宙の成長に
見えない形で「影響」している。

「影響する」

暗黒物質はこの僕らの宇宙の80%の法則を作って居ると言われています。

なんだかシンクロを感じますね。

2010年6月28日月曜日

体裁

すごい言葉だ。
本意ではないが、建前や体裁ってものが有る。

つまり表現に奥行きやヒダがあり、それらを通して交流するってことは
それなりの手練手管を知ってでないと
ちゃんとした「おつきあい」が出来ないって事だ。

しかし、この普通な交流手法は日本だけではない。
世界中に有る所が、人間の不思議な所だ。

ボノボノと云うゴリラと猿との中間に居る生命は
信頼関係の構築の為のセックスや、
今後を考えての肉の贈答ってのをやってるらしい。

あんまり僕らと変わらない生活を、
木の上で毛皮だけでやってるらしい。

もちろん「体裁」ってのもその生活環境の中には生まれて来てるんだろうな。
ポリポリ頭掻いちゃったりしてるの・・・・


2010年6月23日水曜日

愛のすばらしさ

それは生命が選んだ「有効的な種の保存行為」

立場や年齢、様々な事柄を越えさせ血を混じらせる為に産み出された生命の知恵。

没頭し、集中させ興奮させ幸福感を与える。

物質としての進化や耐久性等の全ての要素を加速させる為に生まれた

だから、「愛」と云うものはすばらしく感じれるもの。

視覚の変化

生まれたての人類から50万年
視覚の変化は認知度の変化とシンクロする。

生まれたての赤ん坊が見た世界は、
それ自体の意味も区分けも無い立体の絵柄。
だとすると、
その「うねりの絵柄」が一つずつの「要素」の「集合体」へと変貌する際に
その「意味」の教え方で、世界が変貌して行くはず。



ご飯をゆっくりしか食べれない息子に
せかして食べさせながら、ふと思った。
「味が無くなるからただのモノになってるんだろうな。」
「感謝の気持ちが無い物にした所から、ただのモサモサ」
「気持ちがそれだした食事は、ただの栄養補給」
「味が無くなる」

2010年5月30日日曜日

iTunesのビジュアライザーからのイメージ












引力って、形を変えた「影響」って言う奴かもしれない。

なぜ尊敬ってのが産まれるんだろう。
 多分動物的な生命を維持する一つの方法だろうな
  しかし、その対象となる「尊敬」出来るものの強さはを取る為に
   強いものに「挑戦」して来たのかもしれない。
    そして、倒して「頂く」事が産まれたのかもしれない。
     「連鎖」を紐解きだして、その連鎖の意味が分かったのか?
      「連鎖を産んだ」きっかけは、「反応」だとしたら

最初の反応は何も「無い力」に見える、この宇宙の反値物質のかけらに寄る影響
 その影響に寄って「今」の世界が始まったと考える方が
  「ビジュアル」的に矛盾が無いかな。
    何かにかが浮かび上がる事で、その周りに渦が産まれる。
     回転しているのも、その反応で産まれる渦。
      この長い宇宙の時間をほんの数分に短縮したビジュアルで見たら

多分、論理無用で何かを理解できるような気がする。

2010年5月28日金曜日

2% BAR THE ICE

だれか、コールドプレーの人知りませんか。
今年はこの楽曲がうちのイメージだったんです。

毎日聞いているうちに、そんな空気感が産まれたんですよね。

2010年5月26日水曜日

僕らは何と繋がっていたのか

街の生活から離れて10年経ちました。
小学校まで街育ちで中学高校が山の中。
父親のタバコを買うのに10キロ街へ行く生活

この「街生活」と「田舎生活」が交互にやってくる「過去」が
冬北海道で山生活、夏九州海辺生活へと今はなっているのでしょう。

この原野や田舎で生き抜く為には、自分の持っている全てを駆使しないと
生きていけない事が、僕の中での何かを考えるベースになってます。

過去と未来の間にある瞬間が、「今。」
今と云う瞬間は感じる事が出来ないが、
今までして来た事が今の瞬間の「質」を作り
その「質」が次を導きだす。

人の何を見て来たのか、感じて来たのか。
事柄に何を感じて、何を心と頭に刻み込んだのか。

プロジェクトは、この見えない価値観から生まれ、
そして「生命」を持つ。

2010年5月25日火曜日

膜意識を認識する為の感覚


最近思うイメージ

「そちら」に対して「あちら」
この宇宙の最初。
最初の停止状態から動き出した矛盾数字(いつまでも答えのでない÷2の答え)「1」に生まれるもの「光」。
物質間運動で発生するエネルギーは「摩擦」だとすれば、「静電気」等の「磁界」が発生する。
だとすると、矛盾数字「2」は「自己と他」の世界が生まれる。
自己が他とふれあう事から「他」が認識されるから。
だとしたら、この数字と時間との関係が作るレベル世界とも言える融合した所とでも言いたい価値観では、「3と云うものをどう感じる」と言う方が感じがつかめるかもしれない。
『矛盾数字の「3」って、面とか膜と見える世界の発生のような感じがする。
例えるなら
立体の増幅の仕方は「×2」が基本。一つの物体が増幅する映像は倍になる細胞や結晶シャボン玉。つまり一つの立体は「×2」に出来ると考えるから。
「1」は球で÷2にすると真っ二つになった半球をイメージしてしまう。
つまり反対側との「面」が出来た訳だ。
「皮膚」が物理的な矛盾数字「2」で生まれる。
この膜で「こちら」と「そちら」が生まれる訳だが、
その膜の「意識」ってどんなモノだろうと最近考える。
「感じてみたい」そう思ってる。
こっちに居ながらそのフィールドの外に腕を出し、体感している感じ。
それがだんだん巧くなって来て、あっちにもこっちにも所属しなくても行けそうなくらいにどちらも掴まない感覚。でも掴んでいるからこそ出来るんですけどね。

その両方のフィーリングを両サイドに持っている感覚を感じれたら、
それの反対の両方がクロスした状態の感覚ってのも認識できる。
これが矛盾数字「3」=「膜」の感覚。』

矛盾数字って何だ。

ここが僕らのフィールドだ。

2010年5月24日月曜日

夏用記録

糸島カレーフェスティバルに糸島わはは出店希望を伝える。
当然ながら薬膳。
苦いスープにならない様に注意。


サンセットライブに出店。
サチの揚げナン出品。
まんじゅう(糸島の味)等ここら辺でその時期に昔食べていたモノを紹介。
販売。売り上げを教えてくれた人たちに還元。後飲み代へ。

2010年5月15日土曜日

1+1=別物

1+1=別物
菩提が朝から母に怒られていた。
「だっこだっこ」としがみつくのはしょっちゅうだが、
今日のはほんの少し違ってた。
表情が、わざとだった。

赤ちゃんの様に口元を尖らせ、困ったような目をしてねだってた。
母はそのワザトらしさに苛立って叱っていた。

そのまま菩提は外に行き、
一人僕に聞こえてるとも知らずに毒ずいていた。

僕は、何か昨日とは違う息子の感情を感じた。
地球が一日と云う距離を進んだ結果が、時間を特定している事を
垣間見たような気がした。
その事自体が、僕自身も「時間」と云う「距離」の中に居る事を理解した。


空間認識

ホットケーキを食べながら、妻が席を立った時に、
菩提に小声で、秘密の話をするよな空気感で話しかけた。
内容は
「菩提・・・・朝からグネグネしてるけど、ママは菩提をレストランに連れて行く予定にしているよ。」息子の反応は、「えっ?」正にこの表情。
朝から母親の感情を逆撫でした事を理解しているからこその「えっ?」だった。
「グネグネしても、ママは菩提が大好きだからじゃないの」
彼は突然目の前の大きなホットケーキにフォークを刺して食べだした。
さっきまでは自分で食べるつもりの無い顔をしていたのに。


彼の四角いお皿には、二枚重ねで4等分したホットケーキの2枚が載ってる。
僕の丸い皿には、ホットケーキが3枚、
妻は四角いお皿に3枚。合計8枚。

僕の丸いお皿には、3枚がシロップを平均してかけたいので並べて置いてあり
妻と菩提はまだ重なった状態で皿に載っていた。

「ヒロは3枚、菩提は2枚、ママは・・・・」
すかさず息子は
「菩提の3」
「大正解!」
ここまではいつもの数遊び。

「でも見て菩提、ヒロのは3枚だけど、ママのは3枚で出来た大きな1だよ。」
「・・・・・・・・・」ちょっとシナプスの移動が彼の脳内で起きてる時の状態。

自分の食べかけたホットケーキを指差して
「ヒロ、パソコンみたいな形をしている」
そこに有ったのは、小さな長方形の形になった
一辺が3センチ位の食べかけのホットケーキ。

近くに有ったティッシュの箱をひっくり返し
「これも似てる形かな?」
「これは長方形、四角だよ菩提。」
そして菩提のお皿を指して、
「菩提のお皿は、正方形。」
おひつの蓋を見せながら
「これはマル、円」
そんな事を数回繰り返すうちに

「角」と云うものが、有るか無いかどうも要素だと云う事を彼は感づいた。

天井を指して「四角!」と云うので
「これは『角』」似てるね」


角と云うものに「意味(この場合は時間の経過した、木造の家の)」を持たせて行くと、高さや平面と云う全てが「意味」で構築された空間に変わっていった。
だとすると、そこに集合する意味を見計らっていく事で「方向性を持った空間」が構築できる事になる。
まさに、当たり前の事実でしかないのだけれど、
僕には「1+1=2」と云う当たり前の方程式が思い出される。

当たり前と云うのは
「1+1=1」当たり前と当たり前は、足しても当たり前。
「1+1=2」も当たり前と当たり前があっても当たり前が二つ
そう言う喩えだと今までは理解していた。
「1」と云う「要素」では無く「個体としての要素」ではなく要素を作る「要因」
「1+1=2」と云う定義を今日は少し違う感覚で感じた
それは
「1+1=別物」
「1」ではなく「2」だから
「要素、要因の2たつ集合」が記号「2」だとしても
そこには体積や質量がある訳なので、
目を閉じた世界だとしてもそれは変わらない。
つまり、「2」は別の意味を発生させた「要素、要因の2たつ集合」と考えた訳だ
同じ質量、体積だとしても、客観視した価値観から言えば
当たり前が二つになった所で同じ事。」となるけれど、その体積重量が以上に大きい場合はちょっと違った結果になる。
大きな意味合いの大きな要素の集合体が二つ合わさると単純に「2」では有るが「云うなれば複雑な『2』」とも言える。
この場合は
「(様々な1)+(様々な1)=(様々な1と1で出来上がった2)」が正解かな
それとも
「(様々な1)+(様々な1)=(様々な2)」と表記するだけで良いのかな。

ここに狩猟民族の1人称世界感とも相容れ合う感覚な「狩猟民の数学」を感じた。


今までの数学や物質の定義よりも、
何かと僕は狩猟民族的な方向から数学等を解釈した方が理解できる

何とも面白い朝だった

私と妻から子
私とあなたからは・・・・何が生まれるのでしょう。

2010年4月25日日曜日

九州に帰り着いたら

感覚が違う。

緑が年中有る。その事が戸惑いを生ませる。

そして、寒い。

北海道の「想定内寒さ」と違い、準備無しで寒さを体験してるよう。




これらが僕の中の時計をいじる事になっている様だ。



僕のこの肉体も、所詮物質。

そのまま進んでみよう、そう思う。


明日は「モリンガ植樹祭」

2010年4月16日金曜日

マカオ

6月に行く事決定。
ハワイから始まり、昨年はオーストラリア、そしてマカオ。
そのどれもが、経緯族的に行くことが可能なのがうれしい。


こんな人生が待っていたとは、若いうちにはわからないものだ。

2010年3月21日日曜日

吹雪だ!

今日でBar The ICEは閉店です。

ココ数週間、何気なくいつもそのタイミングを意識していたし、
それが僕のフィールド意識下では,一体どんな「信号を感じれば良いのだろうか。」と
実態有る時間を過ごせた要因はこの点だった、
この事を日に何度も考えていた。
仕事中、風景を見ながら、食事をしながら、ドライブしながら・・・・・・・
いつも僕に「この事を」考える事にさせてくれる。

それが、いつしか「テンポ」を僕の中に生み出していた事を、
今日の吹雪を見つめていて思い当った。

3月に入り、人の流れが変わり、不思議な空気感な日が入りだした事を覚えてる。
最初は「中国系な人達」と思うだけだった。
しかし、次の日も同じ空気感になり、
少しずつ少しずつドットを抜かれていく様に、満ちて質量も同じだけれど、何かが違う感覚。
春の力がこの山奥の場所に吹き込んでる。
目では見えない層(平面構成された状態のフィールド)と同じ様な物と言えば良いのだろうか
春の力はピンク



日本人は40年前に流行った生活の為に選んだ今までの流れ
その中には何が必要だったのかを、個人個人が持てた時点で、
経済的にも人間的にも、そして生き物としても、不必要にされる存在ではなくなると思う。
僕ら日本人の質感の大きな要素には、大いなる文化都市大陸中国が有ったからだと僕は思ってる。
僕らも独自の豊かな感性や流通を持った文化集落をその時点で完成させていたけれど、
多くの工作物に関して(食材や工芸、多岐に渡り)中国が先行していたのは事実。

多分一番最初の感覚は「感激」したんだと思う。
ゾクッと来る感激は、その事が解る意識が無ければ、共鳴出来ないわけだから
我々にもその事が評価出来る点も有ったと古代遺跡を見て思う。
だいたいにおいて、私を含めたシャモは(ココは北海道なので我々は後から入った者)
どこから何をしに来た人達なのかね。
どんな意味で?

2010年3月10日水曜日

何だか、気になる奴が居る。
そいつが問題を起こしたらしい。
「・・・・・・・・」と書くくらいしか思いつか無い心の「感覚。」


その瞬間、もう一人同じ様なフィールドに居る友人を思い出す。

そいつとこいつは、また有人同士だでもある。

『・・・・・・・・・」同じだけど、ちょっとリズムが違いが有るかな「?」の『?』

同じフィールドの対局に有る関係。
そのフィールドと僕との位置関係が、しっかりと僕の中で見えた。


僕と奴との関係、その関係を思い出し生まれる人間関係の図式。
そのタダの図式に、どんな感情が埋め込まれたイベントだったのかと「思いを馳せて」見るのかで、この図式の僕の心の中での位置が変わる。



どんな文章で表現したら、僕のこの瞬間感じた
「心と視覚と、皮膚の表面の感覚が感じられる」
対局化されてるが一つのフィールドにある事を認識出来てる事
オブジェとオブジェ
見えない立体と視覚化されてる立体との接点




               私 と あなた
                 対 局
               貴方の友人と貴方
                僕の周りと僕


      接点を面に変え、この事を違う意味に置き換え考査すると


               四つの面を持つ立体
            三角形の面で出来た正4面体



         一つずつの事柄を、一つの固まりで捕らえたら

                 • に •
                 に • に
                   •
                   で
                   • •
                   • •
             
             立体の図形から平面が生まれる


  面の発生時に、もう僕らの「心」を作るフォーマットが生まれたのかもしれない。


2010年3月5日金曜日

ようやく捉まえた


僕は自分の世界感が、多くの人達の住む世界感と噛んでいる事を感じだした。
今までの自分に感じれなかった感覚を、今年感じた。
多分昨年の全ての時間が、僕に経験させてくれた事から「生まれた」感覚だと思う。

僕は、人の側ではない事を改めて感じた。
僕は、自然の側から、人と接している事を。

2010年2月19日金曜日

だから、ドライブに行こう

ホワイトアウトの世界。
真夜中の山道。
雪の層を突き抜けて、その上に行くと、星空。

帰り道に広がるキラキラな世界。

宝石のちりばめられた世界が、今僕らの前に生まれてる。

「雪」と見るのか、「雪の結晶」と受け止めるのか、
それとも「はかなき結晶」とするのか。

どれも現実である。


その現実との接点が,見るモノの立ち位置でしょうね。

2010年2月16日火曜日

アイヌ シャクシャイン

この響きの懐かしさは、多分誰とも違った思い出を僕に思い出させる。
60年代の安保や民族闘争にエタ非人問題。
そのまっただ中に、僕ら家族は入っていた。

恵庭の我が家のお隣は、自衛隊の戦車部隊の演習地。
対戦車用のヘリコプターや超低速飛行のジェット戦闘機、それに機関銃に投下爆弾。
僕はこの音の中で10年を過ごした。

学校のクラスの子達の両親の7割近くが自衛隊関係だったのを思い出すが
この家に引っ越してから、僕らの家族の音の中には機関銃や大砲、
それに戦闘機の急降下の時の音やが満ち満ちた生活が始まった
ただし、僕らとは違い、彼らの生活環境に迄、
この音は届いていたかどうかは定かではないが
我が家のように、この音のまっただ中ではないことは事実だ。




その分戦争の戦いの意味も分かる。
そして無意味さも感じる。

300年前の蝦夷地に起きた戦も、
この環境が作ったステップだと思う。
そのステップをどう超えるかが、この300年をどう過ごしたかの答えだろう。


今年、父が依頼され造った像が40年ぶりに銅像化される。

この像を造ることから生まれた人生の変化はなかなか興味深いものだった。
僕が今この姿になったのも、この分岐が影響している事は確かだ。


そして、僕は、父の踏み残した道のりを、
少々次の人達に伝える為にも踏み進んでみようと思ってます。



2010年2月15日月曜日

今日初めて

Bar The ICEでウエディングをした。

夜閉めてから、バーの中にキャンドルを一杯並べて、
何時もの照明を全て消して、
ブラックライトで蒼白く光る羽根と、キャンドルの明り。
ゆっくりで、しっとりとした音楽をユキコが見つけて演出担当。
ユキヨは・・・・・・・
ボダイの日々の成長をつぶさに見れる喜びと。
周りの人達との喜び。
ウチのバーは最高のバーです。

みなさん来て下さい。
そしてこのプロジェクトを応援して下さい!
つまりは、飲むって事!!!!!!!!!イイェ〜〜〜〜〜!!!!!

2010年2月11日木曜日

Bar The ICE niseko ice bar


今日チラシをまいて来ようと思いました。

3月15日頃までの営業でしょうか。

何で今頃?そうなんですよね、

ちゃんとした今年の写真でと思ったら、こんなになっちゃってね・・・

まあ僕の事ですから、ちょっとゆっくりなんです。

2010年2月5日金曜日

こんなになったニセコBar The ICE



この天井は思った通りの効果を生んでいる。













あり得ない空間。
見た事の無いパワーバランス。
自然の中にしかない無垢な美しさに,照明と音楽と酒で着飾ってしまえば、そりゃ人間の心が震えるでしょう。




多くのゲストが、入って来た時に思わず笑い出しているのを目撃すたびに、
ニヤリとなってしまいます。

2010年2月1日月曜日

ニセコスタイルアイスバー Bar The ICE

ようやくネットも繋がりました。

ようやく屋根が出来て来ました。

今年は「ニセコオリジナル」への挑戦でした。

ここの大雪でしか出来ない形。

それが、この自然と形成される屋根部分。

もう少しの辛抱です。

雪が降る度に数時間かけての除雪も、

少しずつ少なくなりましたが、

もうそろそろ身体の限界です。

色んな所がギシギシいいだしてます。

でも、やめられないんです。

だって、大好きなんです。

2010年1月18日月曜日

オープンしてますBar the ice




niseko ice ber
ニセコ アイスバー
bar the ice
は北海道オリジナルスタイルを求めて進化しています。
今回の挑戦は、自然が作り出すキャラクターをデザインに取り入れること。
この場所の特徴を、ビジュアルの核に取り入れる事で、見たことのない造形が産まれます。
そして、そのこと自体が当たり前なことなんです。
どこにもない。
二度と見れない。
それが当たり前。
そう思いませんか。